完全なる「後出しジャンケン」であることは重々承知の上ながら、大船渡・佐々木朗希投手(3年)がドラフト会議でロッテに指名されるのではないかと、7月から予感していた。運命があるならば-。

今夏の高校野球岩手大会、球場に駆けつけた大船渡ナインの保護者たちから何度も「リアスリーグ」という言葉を聞いていた。「みんなで千葉マリンに行ったのが一番の思い出だよね」と話す母親もいた。リアスリーグって何だろう。そう思いながら、炎天下での取材に忙殺され、すっかり存在を忘れていた。

詳細は、今日30日付の日刊スポーツ東京版1面で報じた。11年3月の東日本大震災で被災した岩手三陸沿岸の少年野球チームによる大会で、決勝戦をQVCマリン(現在のZOZOマリン)で行っていた。広告業を営む山田康生氏(56)が大会をプロデュースし、昨年で第6回を迎えた。三陸特有の複雑な海岸線からなる「リアス海岸」が、リアスリーグの由来だ。

佐々木が出場したのは、記念すべき第1回大会。大船渡、陸前高田、住田、釜石、大槌、山田の各市町から計25チームが参加した。佐々木がプレーした「猪川(いかわ)野球クラブ」(大船渡市)は4勝し、見事に千葉行きを決めた。

13年12月7日に行われたマリンスタジアムでの決勝戦で、佐々木は2番遊撃でフル出場した。当時は身長168センチだった。マウンドに立ったのは三上陽暉君。今夏は、大船渡高校でラッキーボーイ的な存在で決勝進出に大きく貢献した。マリンでの相手は、同じ大船渡の赤蛸野球スポーツ少年団。相手主将は千葉宗幸君。彼はこの夏、大船渡で主将を務めた。

パンフレットの選手名簿を眺めると、佐々木とともに甲子園を目指した大船渡のメンバー20人のほとんどが、リアスリーグに出場している。佐々木は「地元のメンバーでずっとやってきて、このメンバーでなら甲子園を狙えるんじゃないかと思いました」と話していた。ルーツの1つが、彼らにとって激動だった小学校生活の集大成となる、リアスリーグにあった。

震災で大切な人や家、町を失った子どもたち。グラウンドを失った野球少年たち。佐々木も河川敷の橋脚に壁当てをして、放課後を過ごしていた時期がある。彼らと家族にとって、プロ野球の舞台はきらびやかなものだったからこそ「一番の思い出」として、今もなお鮮明に思い出せる。

佐々木は今後仮契約を経て、正式に入団となれば、そう遠くないうちに思い出のマウンドに立つことになるだろう。当時一緒にプレーした仲間たちは今、それぞれの将来に向かって、残りの高校生活を過ごす。マウンドと応援席。居場所は別になっても、大人になった彼らが再びマリンに集う日は、感慨深いものになるだろう。【金子真仁】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)