ネット裏の記者席から見ていて、彼らしい姿だと感じた。8-9で迎えた9回表、慶大最後の攻撃。福井章吾主将(4年=大阪桐蔭)は捕手の防具を着けたまま、ベンチ最前列で声援を送っていた。「野球は何が起こるか分からないので、次の回も守る準備を。投手とのコミュニケーションも欠かさず、最善の準備をしていました」。裏の守りがあると信じた。だが、無死一、二塁をつくるも1点届かず。負けが決まると、ベンチの中でさっと防具を外し、あいさつの列に向かった。

東京6大学春季リーグ戦、全日本大学選手権、そして秋季リーグ戦と3冠を達成。明治神宮大会も準優勝と、史上5校目の年間4冠まで、あと1歩だった。この1年、慶大を取材する中で、強さの要は間違いなく主将の福井だと感じた。正木(ソフトバンク2位)や渡部遼(オリックス4位)といったプロ野球に進む選手もいるが、福井がいてこその慶大だった。

選手としての能力だけでなく、捕手として投手を引っ張る力量や、主将としてチームをまとめる器がある。堀井哲也監督(59)は「今すぐに監督になってもいいぐらい」と評し、ある社会人野球の指導者は「彼を取れれば、向こう10年は捕手を補強しなくていい」と言ったほどだ。

キャプテンシーの源は、どこにあるのか。大阪桐蔭でも主将として17年センバツ優勝。だから、慶大に入る前、既に名門で培われていたのだと思っていた。ところが、本人に聞いたら意外な答えが返ってきた。「小さい頃から、何事も先頭に立つタイプでした。遊びでも、先陣を切ってやってました」。育った環境が大きかったという。

一番の遊び相手は、2つ上の兄慎平さんだった。年の近い男兄弟、取っ組み合いは日常茶飯事。ただ、子どもの2歳差は大きい。腕力では勝てなかった。「兄は厳しかった。兄の理不尽に耐えたから、今があるんです」と笑って明かした。さらに、兄の同い年の友達。「いつも兄や、兄の友達と遊ぶことが多くて。同学年よりも先にいって、いろんな会話、経験値を得ました。そういうところから自信がつきました」。小さい頃から少し上の世代でもまれたことで、たくましさが育まれた。だから「兄にはすごく感謝してます。負けず嫌いもあったけど、そこで強さを身に着けました」。理不尽? な兄と張り合うことで、成長できた。

慎平さんは亜大で野球を続けたが、家業を継ぐべく、大学で野球はやめた。福井は「お前は野球を続けろ」と言われている。兄弟仲はいい。「兄の誕生日に電話したら、僕の電話で起きたらしいです」と、ほほ笑ましい。

試合に戻ろう。4冠を逃した直後でも「キャッチャーが責任を負うべき点がいくつかあった」と、9失点を冷静に振り返っていた。今大会、初戦は途中出場。コンディションは万全ではなかった。それについても「大会でベストに持って行けないのは、選手として、まだまだ力が足りないということ。今後に生かしたい」と受け止めた。卒業後は、名門・トヨタ自動車で野球を続ける。将来の夢へ向かって。

「野球の指導者です。将来、慶応でやりたい。社会人で、まず結果を残して、いずれ、ここ(慶大)に声をかけてもらえたら、そんな幸せな人生はありません」。

いつの日か、福井監督として年間4冠の胴上げをされる日が-。今年の学生野球が閉幕し、そんな想像をした。【古川真弥】

慶大対中央学院大 準優勝に終わるも、正木(左)らとともに晴れやかな表情で記念撮影に納まる慶大・福井主将(撮影・野上伸悟)
慶大対中央学院大 準優勝に終わるも、正木(左)らとともに晴れやかな表情で記念撮影に納まる慶大・福井主将(撮影・野上伸悟)