球児を超えろ。藤浪晋太郎に声を掛けるとすれば、それだ。同時に強調したいこともある。こうなった以上、必ず米球界に挑戦しろということだ。

藤川球児がシカゴ・カブスにいたときだから13年、あるいは14年のオフか。帰国時に少しだけ話したことが今でも記憶に残っている。

「日本球界から渡米してメジャーで活躍した投手はたくさんいますよね。でも阪神から挑戦した投手で、そういう感じの人はいないでしょ。ボクはそうなりたいと思っています」

14年、降板となりがっくりとするカブス藤川球児
14年、降板となりがっくりとするカブス藤川球児

キッパリと言った。このあたりがいかにも球児らしいと思う。阪神の一員だったことに強い誇りを持っていることが伝わる。12球団一とも言われる熱いファンに支えられてきた自負のようなものを感じてうれしくなったものだ。

だが故障に悩まされ、3年間で1勝1敗2セーブの成績に終わった。正直、活躍したとは言いがたい。それでも、その後、阪神に復帰し、中心選手となったのは知られるところだ。

そして藤浪である。説明するまでもないが大阪桐蔭のエースとして、高校野球で春夏連覇。その実績を引っさげ、ドラフトで当たりくじを引いた阪神に入団した。その後、3シーズンで2桁勝利。これは名実ともに猛虎のエースになる、と喜んだものだ。

だが現実は厳しい。30歳までわずかになった今、その頃の輝きは失われている。今後も同じことを繰り返すのか。それが、ここに来て、本人が以前から願っていた大リーグ挑戦。ポスティングシステム(入札制)の利用を球団が認めたのは意味があるだろう。阪神で復活すれば虎党にはベストだろうが、ここは藤浪の決断を応援したい。そして米国で球児をしのぐ活躍を見せ「さすが藤浪や」と思わせてほしいものだ。

球団からポスティング申請を認められ会見する藤浪(撮影・加藤哉)
球団からポスティング申請を認められ会見する藤浪(撮影・加藤哉)

同時に大事なのは、とにかく「行く」ことだと思う。過去にいろいろな球団で入札制、あるいはFAで渡米の意向を示した選手が条件面などで折り合わずに残留するケースがあった。そういう場合、メンタルか何なのか理由は分からないが不思議に前年度を上回る働きができない場合が多いと感じる。少々、条件がよくなくてもここは挑戦した方がいいと感じる理由だ。

寂しい気もするが大リーグの藤浪を見るのは楽しみである。そして、いつか再び阪神に戻り、現役生活の最後を全うしてくれれば。これも新たな夢だ。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

マウンドで笑みを浮かべる藤浪晋太郎
マウンドで笑みを浮かべる藤浪晋太郎