具志川キャンプで若い選手の実戦を見ようと足を運んだものの、あいにくの雨。17日に予定されていたDeNAとの練習試合は中止となった。これに出場するため宜野座ではなく、こちらに来ていた前川右京、小野寺暖は「残念ですね」。そう言いながら熱心に打撃練習などに励んだ。

そんな雨の具志川に懐かしい顔が姿を見せた。石嶺和彦。阪急、オリックスで主軸打者として活躍。FAで阪神にも移籍した。阪神で初めて年俸1億円になった存在としても知られる。

阪神に来た93年オフは私事ながら、こちらが野球担当になった頃なので印象が強い。「久しぶりです」と言うと「おお」。「みんなトシ取るねえ」と笑われた。当時はどちらも30代。誰もが平等に年を取る。

そんな石嶺が実感を込めたのは「でも阪神は変わったね」と言うことだ。90年代半ばの阪神は苦しかった。他球団ですでにベテランだった石嶺を、34歳のシーズンを前にFAで獲得した事実でもそれは分かる。時は流れ、いまは生え抜き中心だ。それで23年には日本一になるなど、リーグを代表する強豪になっているのは言うまでもない。

石嶺に聞いてみたかったのは「捕手→野手」への意味だ。オールド・ファンなら知るところだろうが石嶺は名前を売った沖縄・豊見城高時代、捕手だった。78年のドラフト2位で阪急に入団した当初も捕手だ。

しかし高校時代から痛めていたヒザの影響もあり、打撃を生かしたDHに。さらに阪神移籍後は左翼を守った。だが守備は打撃ほどのレベルではなく、当時の中堅・新庄剛志、右翼・亀山努から「定位置から右には来なくていいですよ」と言われた逸話も残る。

「でも捕手をしていたことは打撃に生きたね」と、石嶺は言う。例えばこんな話だ。「打者有利のカウントになったとき、ボクは変化球を待っていた。プロの捕手はそのカウントからあまり真っすぐを投げさせない。それで打たれたらベンチから叱られるから」。

プロらしいと思わせる話だ。現在、阪神で捕手から打撃を生かして外野への転向を図るのは中川勇斗だ。前川、小野寺、高寺望夢らと左翼を争っている。現役時代に捕手から内野手になり、打撃で知られた2軍打撃チーフコーチ・北川博敏も「配球は頑張ってましたよ」という中川だけに捕手出身の強みを生かせれば…と思う沖縄キャンプだ。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

阪神時代の石嶺氏(1996年撮影)
阪神時代の石嶺氏(1996年撮影)