「1死一、二塁-ッ!」

筑陽学園キャッチャーの進藤勇也(3年)が仲間に声をかけ指示をする。夏の福岡大会を目前にしたある日のシートバッティング。グラウンドは緊張感に包まれていたが、そこに江口祐司監督(56)の姿がなかった。どこかに隠れて見ているのかと思い見回したが、やはりいない…。数分後、グラウンドが見えない場所で、椅子に腰かけて静かにしている江口監督を発見した。「監督、ここで何を…?」。意外な光景に驚いてしまった。

「僕が見ていたら選手が意識するでしょ? だからここにいるの。練習は見ないんです」。日に焼けたほほを緩ませてニカーっと笑った。グラウンドの選手から、この場所は見えない。ときどき前を通る選手に「おい、痛めたところは大丈夫か?」など声をかけるだけ。練習を報告しにきたキャプテンの江原佑哉(3年)の話を聞き、言った注文はただ一つ。「ダラダラやるなよ」。グラウンドの選手はいわゆる「ほったらかし」。しかし、まるで最適化されたゲームの“自動モード”のように、のびのびと戦術の最終確認をする選手たちの姿があった。

自立と責任。強い信頼関係があるからこそ、あの練習ができていたのだろう。

■江口監督にとって初の春夏甲子園出場

センバツ初出場した今春。江口監督にとって2季連続の甲子園を目指すということは、未知への挑戦でもあった。チームは全国8強を果たしたあと、その20日後に九州大会が開幕。緊張の抜きどころがないまま、公式戦が続いた。準々決勝で興南に0-1で敗戦。宮城大弥投手(3年)から5安打しか打てず、チームは一度どん底に落ちた。

「このまま夏まで状態が上がってこないのではないか」

不安がよぎった。選手たちが背負っているプレッシャーは計り知れない。それを思うと、教師として、勝負師として、心が揺れた。そんな中で選手たちに言い聞かせたのは「変わるのは周りだぞ。お前たちはなんも変わらないんだぞ」という言葉。緩慢なプレーが目立ち始めた5月。大型連休恒例強化合宿の日程を延長し、選手たちの心を鍛え続けた。「選手をだいぶどやし上げました(=カミナリを落とす)」(江口監督)。選手たちに「ナニクソ!」という気持ちが芽生えたのはこの頃。最後までハートが壊れなかった選手たちを呼んで「よく頑張ったな」と優しく言葉をかけた。

「センバツ以降、プレッシャーは全部が引き受けることにしました。だから練習は見ない。子どもたちの顔だけを見ます。顔を見れば、何を考えているかがわかりますから」。不安そうにしている選手には積極的に声をかけた。野球の話ではなく世間話が多い。この大会に向け、最高の環境づくりに心を注いだ。

133チーム(135校)が参加した福岡大会で、16年ぶりに夏を制した筑陽学園。福岡の春夏連続出場は2011年の九州国際大付以来、8年ぶりとなる。5回戦・九産大九州戦では0-3、9回裏1死走者なしから逆転サヨナラ勝ちするなど、決して楽な戦いではなかった。決勝の相手、西日本短大付は江口監督が指導者になって初めてコーチに就いた学校であり、そのときの教え子が西村慎太郎監督(47)という因縁もあった。さまざまな思いがめぐり、優勝インタビューでは声がつまり、言葉が出てこなかった。

「春のセンバツでの経験を生かして、県の代表として選手たちを頑張らせたい」。

レギュラーのほとんどが在籍する3年クラスの担任も務める。監督と選手。一心同体で「全国制覇」という夢を、一緒に追いかける。【樫本ゆき】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

大会直前の練習で江口祐司監督からの言葉を真剣に聞く筑陽学園の選手たち
大会直前の練習で江口祐司監督からの言葉を真剣に聞く筑陽学園の選手たち