【2015白球メモリー:宮古商・森谷秀吾投手(3年)】

 昨秋33年ぶりの東北大会出場の原動力になったエース&4番が、ケガに泣いた。「まだ負けたことが受け入れられない」。打倒私立を掲げ、21年ぶりの公立校優勝を目指した夏は、1時間32分の初戦敗退で終わった。

 春に右人さし指を突き指して県大会は出番がなかった。山崎明仁監督(35)は「右肘も」と故障を明かし、この夏も大会直前の6月下旬、学校の体育祭で右太もも裏に肉離れを起こした。「投球練習はできた」(森谷)が、走ることができなかった。この日はスタメンを外れた。

 7回表に代打で登場し、その裏から2番手で登板した。2イニングを無失点に抑えたが、勝利に届かなかった。「ケガでチームに迷惑をかけてしまった」。万全な調整ができていれば…。心残りになった。

 森谷の高校野球は終わった。それでも「野球は続けていきたい」と言った。宮古商で経験した苦楽を、今後へ生かしていく。【久野朗】