岐阜城北は持ち前の機動力を発揮した。

 先行を許した直後の1回、2死から平井が見せる。外角直球を右翼線へ。走りだすと、突っ込んだ右翼手が後逸するのが見えた。「三塁を狙った」。速度を緩めることなく駆け巡る。中継が乱れる間に生還し、同点に(記録は三塁打と敵失)。勝ち越した3回は、先頭の伊藤が左翼左への浅い飛球で、隙を突いて二塁に。「一瞬迷ったが左翼手がまだ投げる前だった」。この回、犠打に盗塁、敵失もからみ一気に4点。初の甲子園采配となる鹿野監督は「平井、伊藤の走塁は大きかった。選手が落ち着いてやってくれた」とチームで一番泣いた。(朝日新聞)

 ◆岐阜城北 1983年(昭58)に岐阜三田として創立した県立校。04年、統合を経て現校名に。生徒数は698人(うち女子490人)。野球部も創立と同時に創部。甲子園は春1度、夏は3度目。部員数は61人。主なOBは中日伊藤準規ら。所在地は岐阜市三田洞465の1。藤木節子校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦4-3岐山

3回戦9-2揖斐

4回戦7-0岐阜総合学園

準々決勝9-0東濃実

準決勝6-0大垣日大

決勝7-3斐太