1924年(大13)の第1回大会、1960年(昭35)に次ぐ、大正、昭和、平成の「3時代」制覇はならなかった。高松商(香川)ナインは、延長11回サヨナラ負けの瞬間、グラウンドに崩れ落ちた。最後のバックホームも実らなかった米麦主将は「何も考えずに投げた。ただアウトになってくれと祈った」。願いは届かず、涙があふれ出た。

 力は出し切った。先発浦は強打の智弁学園を10回まで併殺崩れの1失点のみ。「負けたのは悔しいけど、全国で通用することは分かった。夏は必ず戻って優勝できるようになりたい」と胸を張った。

 米麦主将と植田響捕手の2人は右肘が万全でない中で大会を戦っていた。長尾健司監督(45)は「よくやってくれた。負けたのは監督の力不足です」。3年生が高校入学時「古豪復活」を合言葉に集まったナイン。「これまで偉大な先輩たちからも助けてもらった。夏は必ず恩返しします」。右肘の痛みは言い訳にしなかった伝統チームの主将は、夏のリベンジを心に決めていた。