今夏を最後に休部するPL学園に衝撃が走った。大阪大会初戦(2回戦=東大阪大柏原戦、花園)を控えた14日、大阪・富田林市内での練習中に河野友哉内野手と正垣静玖外野手(ともに3年)が衝突。河野は大腿(だいたい)部骨折、正垣は亜脱臼で、今日15日の試合出場は絶望となった。もともと選手が11人しかいない中で、2人が負傷。区切りを迎える夏に、PL学園が大きな試練を迎えた。

 どれほどの試練を、最後の部員は乗り越えなければならないのか-。大阪大会出陣を前日に控えたこの日、二塁手と外野手がケガを負った。

 守備練習の最中だった。打球を追って後ろに下がった河野と、右翼から前進した正垣が激突。初戦突破を目指す真剣練習だけに、ぶつかった衝撃は強烈だった。病院で河野は大腿(だいたい)部の骨折、正垣は亜脱臼が判明。河野は今月末に手術を受けることになった。

 「この人数ですから、絶対に故障はできない」。常日頃から梅田翔大(しょうた)主将(3年)はそう話し、部員間の緊張感を高めていた。全国屈指の選手層を誇った時代なら、離脱をカバーする戦力があった。だが今は12人で、うち1人は記録員の土井塁人(3年)。長期入院による留年で試合には出られない。選手11人から離脱者を出さないよう細心の注意を払いながら、今のチームは体、技術を鍛え上げてきた。歴代の先輩が経験した6月の強化練習にも取り組み、自信をつけた。ただ外野手の1人が右肩負傷が治らず代打専任になり、実質10人で大阪大会を迎える構えだった。

 だがこの日、さらに離脱者が2人出てしまった。右肩負傷を抱える外野手をスタメンに入れても、ぎりぎり9人。試合中、仮に熱中症やケガなどプレー続行不可能な選手が出れば、代替選手がいないため、没収試合になる。

 河野は、元監督の河野有道氏(67)の孫で、昨秋の控えから今春は正二塁手になった。河野の離脱で、二塁には三塁から水上真斗(3年)が起用される見込み。新チームのスタート時から、11人は複数の守備位置を練習し、不測の事態に備えてきた。日ごろの取り組みの成果を生かさなければ、明日は巡って来ない。「1球への思い、1球への集中力。1人1人の気持ちが大事」と仲間を鼓舞し続けた梅田主将。伝統の逆境での強さ。それを見せるときが来た。

 ◆PL学園 1955年(昭30)に学校法人PL学園によって創立された。全日制普通科のみ。野球部は56年に創部。甲子園は春20度、夏17度出場し、春夏連覇を含む春3度、夏4度の優勝を誇る。OBには元巨人桑田真澄氏、阪神福留孝介、ドジャース前田健太ら。所在地は富田林市喜志2055。

 ◆PL学園休部までの主な経過 13年2月の部内暴力発覚。6カ月間の対外試合禁止処分で夏の大阪大会に出られず。14年の夏の大阪大会は準優勝。野球経験のない正井一真校長が監督を務めた。10月には15年4月に入学する新入生に対する野球部員募集停止が判明。15年は夏大阪8強。2年生だけの部員12人で臨んだ秋季近畿大会府予選1回戦で汎愛にサヨナラ負け。