「テッコ・ツナイデ・アバイン! 愛してまーす!」

 試合前のルーティン。元気いっぱいの声出しで2回戦に臨んだ築館(つきだて)。「手を、繋いで、いきましょう」を意味する宮城弁と、指で作った「L(LOVE)」マークを天に掲げ、満面の笑顔で必勝を誓いました。

 「Smile(笑顔)とmiracle(奇跡)は同じ語源を持つと言われています。笑顔でミラクルを起こそうぜ!という気合入れですね。今年の選手たちは気持ちをうまく伝えられない選手が多いので、2年前から取り入れたんですよ」と利根川直弥監督(44)が説明してくれました。

 笑顔で、ミラクルを起こす。この2年-。築館ナインにとって「笑顔で野球をすること」が本当に難しく、当たり前のことではありませんでした。14年11月28日。当時1年生だった内野手の菅原達仁君を交通事故で失い、同級生の8人(現3年生)はいき場のない悲しみに苦しみました。思いを力に変えられない。試合で結果が出せない…。そんな時に始めたのが「テッコ・ツナイデ…」の気合入れだったのです。

 ところが今年6月。再びチームに衝撃が走ります。エース・佐々木琉君(りゅう=3年)が「拡張型心筋症」という病を発症したのです。心臓の筋力・機能が著しく低下する原因不明の難病。医師からは野球をやる上での注意が言い渡されました。「全力投球はなるべく抑えて、全力疾走も禁止。息切れや、あぶら汗が出た場合は、すぐに休めと言われました。あと1カ月なら野球をしていいと言われたので、残った時間を達仁の分まで頑張ろうと思いました」(佐々木君)。180センチ、75キロ。左の本格派で、今春にプロ3球団が視察にきた逸材でした。しかし野球は続けられない。自分なりの「完全燃焼」を覚悟したのです。

 試合は、暴投で献上した1点が決勝点となり、0-1で敗戦となりました。利根川監督と「絶対に無理はしない」と約束した上で、8回、118球を投げ抜きました。被安打3、8奪三振。この快投に、彼が重い病気を背負っていると気づいた人はいたのでしょうか。「最後は自分たちの弱さが出てしまった。今日は達仁のためにどうしても勝ちたかったです」。泣きじゃくる仲間の中で、ひとり気丈に振る舞っていたのが佐々木君。取材陣が去り、利根川監督からねぎらいの抱擁を受けると、我慢していた涙が一気にあふれました。いろいろなものから「解放」された瞬間だったのかもしれません。病を背負いながらの投球は“ミラクル”を起こすことはできませんでした。でも、笑顔でやり切った夏に、自分の野球人生に、後悔はありません。

 ◆樫本ゆき(かしもと・ゆき)1973年(昭48)2月9日、千葉県生まれ。94年日刊スポーツ出版社入社。編集記者として雑誌「輝け甲子園の星」、「プロ野球ai」に携わり99年よりフリー。九州、関東での取材活動を経て14年秋から宮城に転居。東北の高校野球の取材を行っている。