左翼席へ消える打球をぼうぜんと見つめた東海大相模(神奈川)北村朋也投手(3年)は、両膝に手をついて動けなくなった。慶応のダメ押し3ランで9点差。8回コールドが成立した。「自分が、流れを変えてやろうと思って、全力で投げました…」。審判に促され、整列に加わると、あふれる涙が止まらなくなった。

 昨夏の全国王者。見えない重圧と闘った1年だった。優勝旗は文化祭で掲示された。周囲は喜んでくれた。同時に、期待された。「どうしても、去年のチームと比べられて。去年優勝したから、今年もできるでしょって」。2枚看板だった中日小笠原、オリックス吉田凌が抜けた。新チームに、日本一のレギュラーは1人もいなかった。秋、先発した準々決勝の横浜戦で5失点。コールド負けした。

 門馬敬治監督(46)はハッパを掛けた。「全国制覇は先輩たちがやったこと。お前たちはまだ何もしてない」。だが迷い、もがくほど投げ方が分からなくなった。春はエースナンバーを背負ったが、安定感を欠いて今夏は背番号「11」。「1番を山田に譲って、悔しくて、悔しくて。でも背番号で野球をやるわけじゃないって、言い聞かせて」。迎えた準々決勝。山田啓太(3年)安里海(2年)両左腕が被弾し、7点差の5回途中から送り出された。

 100%の力で放った外角ストレートが、少し浮いた。7回までの好救援は、たった1球で意味を持たなくなった。「神奈川を3連覇して、全員で甲子園に優勝旗返還に行く」。合言葉のように繰り返したフレーズも、夢と消えた。プロ注目右腕は「まだまだ力が足りない。次のステージを…、大学進学も考えて、やっていきたい」と、真っ赤な目で言葉を振り絞った。

 秋も春も夏も、8強の壁を破れなかった。だが門馬監督はひと言に、ねぎらいをこめた。「粘って、頑張ったと思う。この代はよく我慢した。長い1年が終わりました」。【鎌田良美】

 ◆夏の甲子園V校が翌年夏にコールド敗退 94年に育英が兵庫大会2回戦で東洋大姫路に0-12(7回コールド)で屈して以来。