どん底からよみがえった。第100回全国高校野球南北海道大会決勝戦が行われ、北照が駒大苫小牧を15-2で下し、5年ぶり4度目の甲子園出場を決めた。16年8月に不祥事のため無期限の活動停止処分を受け、同年12月に活動再開。当時部長だった上林弘樹監督(39)と、当時1年だった現3年が中心となって再生への道を踏みだし、チーム総力で、聖地をたぐり寄せた。甲子園は春5勝も夏は3戦全敗。耐え忍んで培った不屈の力を、待望の夏1勝につなげる。

 歓喜の瞬間、上林監督は涙をぬぐった。悪夢の日々が走馬灯のように思い出された。「今までしんどい思いもした。一生懸命やっていればこういう瞬間にたどりつけるんだなと」。監督として初めてつかんだ甲子園切符。教え子たちが元気に歌う母校の校歌を耳にし、感情があふれ出た。

 ボロボロだった。16年8月から4カ月間の活動停止期間中、高校のグラウンドは使えず、選手は個々に小樽市内の公共の運動場でキャッチボールするぐらいしかできなかった。同年12月、処分が解け部室に入ると、汚れ果てていた。「一からすべてを変えよう」。掃除をして、色がはげコンクリートむき出しになっていた室内練習場のトイレの壁を、部員と一緒に塗り直すところから始めた。壁は黄緑、床は鮮やかな青。三浦主将は「目に見えるところが一新されて、気持ちが一気に切り替わった」と振り返った。

 昨年1月に監督に就任。今春の遠征では、慣例をぶちこわした。初めてフェリーで八丈島から千葉を回る15泊16日の地獄のロードを試みた。昨年まで空路、沖縄に向かっていたが「経費が浮く分、雪のないところでやる時間が増える」。東京-八丈島間は荒波で船が揺れ、4番岡崎は具合が悪くなり、船室から1歩も出られなかった。到着後、即練習。未経験の強行軍に耐えた岡崎は「あれより苦しいものはないと思えるようになった」。強い精神力は、決勝でのサイクル安打につながった。

 ペンキ塗りから始まった1年半の上林改革が結実した。16日の誕生日に「LOVE」の文字が大量に刺しゅうされたブルガリのネクタイをプレゼントされており「そのネクタイで(全国の)抽選に行きます」と喜んだ。さらに、この日は、父弘(ひろむ)さんの64歳の誕生日。大阪・高槻市出身の同監督は「いい報告ができます」と目を細めた。故郷を離れ23年、北海道愛に支えられ、つかんだ甲子園切符。関西に凱旋(がいせん)し、今度は父に、聖地1勝を贈る。【永野高輔】