「屈辱」から頂点へはい上がった。第100回全国高校野球(8月5日開幕、甲子園)南埼玉大会決勝戦が行われ、浦和学院が県川口を17-5で下し、5年ぶり13度目の甲子園出場を決めた。17得点は埼玉大会の決勝戦では史上最多得点。原点は昨年8月23日、ライバル・花咲徳栄(北埼玉=今日24日決勝)が優勝した甲子園決勝戦にあった。

 歓喜の輪に向かい、センター深めに守っていた浦和学院・蛭間拓哉主将(3年)は走りだした。「つらかった。勝てて良かったな」とホッとしながら駆け、13秒後、19人の輪の中に両手を広げ、包み込むように抱きついた。優勝の実感がこみ上げた。

 森士監督(54)は9回裏、ベンチからグラウンドへ向かう階段に塩をまいた。8回に5点、9回に4点。終盤の大量リードにも「先攻だから、点取らなきゃダメなんだよ!」と打撃陣を鼓舞し続けた。優勝の瞬間、ようやく重圧から解放されたかのように、両手を突き上げた。

 全ては、昨年の8月23日から始まった。埼玉大会決勝で敗れた花咲徳栄が、甲子園決勝まで勝ち進んだ。合宿所の食堂で、部員全員でテレビ観戦した。「誰も話さず、声を出してはいけないような雰囲気でした」と矢野壱晟三塁手(3年)は振り返る。優勝の瞬間も、実況アナウンサーの声だけが食堂に響いた。

 森監督も別室でテレビを見ていた。花咲徳栄の強さは十分知っていた。しかし。

 「埼玉初の全国制覇を目指す…そんなこれまでの監督人生からすると、先にやりとげられてしまった。屈辱というか、ふがいないというか。とにかく、衝撃的でした。立ち上がれないんじゃないかというくらいでした」

 力を振り絞り、強いまなざしの教え子たちに言葉を発した。「徳栄に先を越されたのが、一番悔しい。来年、絶対に甲子園で徳栄を倒して優勝するぞ!」。選手たちのほえるような「はい!」を信じ、猛練習を重ねてきた。

 苦手な左腕対策を徹底し、一定の技術はついた。あとは気持ちだけ。今夏の初戦当日は早朝5時すぎからバットを振った。朝食前に、腹の底から声を出し「敵は我にあり!」と4度唱和。わがまま集団と呼ばれたチームも、ようやく1つになった。蛭間は「そういう意味でもホッとした感じです」と笑顔を見せた。

 試合後は、部員と父母によるビクトリーロードを歩み、近くの大宮・氷川神社へ。県優勝のお礼参りと、甲子園優勝の必勝祈願をした。「もう2度と甲子園へ行けないかと思っていた。また新たなスタートです」と森監督。屈辱から始まったチームは、笑顔にあふれていた。【金子真仁】