履正社が令和初の甲子園王者となった。大阪勢として、夏は昨年の大阪桐蔭に続いて2年連続14度目の制覇となった。

履正社は1922年(大11)の創立で、当時は大阪府福島商業学校として大阪市北区に学校があった。67年に現在の所在地、豊中市に移転が完了。83年に履正社と改称された。野球部グラウンドは01年から茨木市に移ったが、それまでは豊中で練習。第101回大会は、高校野球史と縁が深いものになった。

第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されたのは、現在の豊中市玉井町3丁目にあった豊中グラウンド。そのため、豊中は「高校野球発祥の地」と呼ばれる。地元の高校野球ファンが待ち望んだ優勝だった。

夏の大阪の優勝は浪華商(現大体大浪商、浪商時代の61年も優勝)、明星、興国、PL学園、大阪桐蔭に続いて6校目。平成最後の夏は大阪桐蔭が史上初の2度目の甲子園春夏連覇で飾り、令和初の夏は履正社が制覇。野球王国・大阪に新たな歴史が生まれた。