母校・市岡(大阪)を2度センバツに導き、17年に育成功労賞を受賞した港(大阪)総監督で同校教諭の河合孝氏が14日午前1時9分、闘病先の大阪市内の病院で亡くなった。64歳だった。告別式は16日に大阪市内で、家族葬で営まれる。

河合氏は強豪ひしめく大阪で、40年近くにわたって公立高の硬式野球部を率いた。市岡から大阪市大を経て80年から吹田を指導。83年に母校・市岡の監督に就任し、87年センバツ1回戦で甲子園では40年夏以来47年ぶりの勝利を挙げ、古豪のOBを喜ばせた。95年センバツも出場。同年夏の大阪大会決勝で敗れはしたものの、福留孝介(阪神)を擁したPL学園と接戦を繰り広げた。阿武野、港でも監督、教員を務めたが、肝臓の疾病を抱え、昨夏以降は闘病生活を送っていた。