166センチの小兵が、8強入りの立役者となった。大会開幕直前のメンバー変更により、ベンチ入りした智弁学園(奈良)・中陳六斗(なかじん・りくと)内野手(2年)が「8番・二塁」で先発。

3打数2安打1打点でチーム5得点中3点にからみ、勝利に貢献した。初めての公式戦が甲子園。小さな背中が大甲子園を駆け回った。中京大中京(愛知)、東海大菅生(東京)が勝ち進み、8強が出そろった。

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小さなユニホームは、すぐに泥だらけになった。「おどおどしてる暇もない。強い気持ちでいきました」。1点を追った3回、外角直球を強振。「ファウルかと思った」という当たりは、相手左翼手の頭上を越える二塁打に。この一打を皮切りに3点を奪い、逆転。4回には4点目の犠飛。6回には遊撃内野安打から二盗を決め、5点目のホームを踏んだ。打って走って、1球一打に食らいついた。

野球をやる上で、166センチ、75キロの小柄な体格を気にしてくれた人がいた。母の真美さん(40)だ。中学2年生の頃、「ごめん」と謝られた。スポーツをしていれば、体格が有利に働く時はある。だから決めた。「自分でやるしかない。小さくてもホームランを打てる選手になる」。フルスイングがモットーになった。

昨年、練習に訪れた3学年先輩の坂下翔馬さん(19=近大)に声を掛けられた。「俺と似てるな」。主将だった坂下さんも身長は160センチ台。胸に刻んでいるのは「背が低くても、できることはいっぱいある。大きい小さいは関係ない」という言葉。自分とよく似た背中に、勇気をもらった。

中学2年で右膝を負傷した後遺症で、高校入学後も病院通い。練習開始は年明けからでも、甲子園に滑り込んだ。真美さんは「ユニホーム姿を見るのは甲子園に来て初めてです。それだけで感動です」と見守った。幼い頃から憧れだった朱色の帽子をかぶり、チームを8強に導いた。【望月千草】

◆奈良県勢2校が8強 天理に続き智弁学園もベスト8。77年(智弁学園4強、天理8強)以来2度目。

◆中陳六斗(なかじん・りくと)2004年(平16)11月12日、奈良・桜井市出身。纒向(まきむく)小2年から野球を始め、当時は捕手。大三輪中では橿原ボーイズに所属。2年春のセンバツからベンチ入り。166センチ、75キロ。右投げ右打ち。

▽智弁学園・小坂監督(中陳の活躍に)「いろいろな部分で持っているのではと思って、思いきってスタメンで。気持ちが前に出る選手。ファイターです」