明豊(大分)がセンバツ準決勝で中京大中京(愛知)を5-4で下し、春夏通じて初の決勝進出を決めた。1番・左翼で起用された阿南心雄外野手(3年)が、攻守の活躍で貢献。1回裏2死二、三塁で相手5番の大きな当たりを転倒しながら好捕し、2戦連続でピンチを救った。打っては、4回の適時打など2安打1打点。大分県勢では1967年(昭42)津久見以来54年ぶりとなる優勝へ、王手をかけた。

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初の決勝を“つかみとった”。レフト阿南が2戦連続のファインプレーだ。1回裏2死二、三塁のピンチ。相手5番・辻の左翼への大きな当たりを好捕。「グラブの中に収めることだけ考えて後ろに走った」。捕球後、勢い余って1回転し、その拍子にベルトも切れる献身。準々決勝・智弁学園(奈良)戦に続くビッグプレーで、先制される危機を救った。

打っても大きな仕事を果たした。4回2死二塁で「二塁ランナーを絶対かえすつもりだった。コンパクトにセンター中心に打った」。チーム5点目の中前適時打を放ってみせた。

この日の先発は畔柳投手ではなかった。だが、4回に畔柳がブルペン調整を始める姿に闘志を燃やしたという。「先発を早めに降ろし(畔柳投手を)早めにマウンドに上げようとやっていた」。そして、待ち望んだ相手エースが5回から救援登板。「やっと来たと思った。盛り上げていった」と勝ちへ執念が加速した。

4度目の打順入れ替えが功を奏した。阿南が1番打者に入ったのは、1回戦以来、今大会2度目。川崎絢平監督(39)は1番起用に「阿南がこの間(智弁学園戦)ああいうプレーがありましたので、ラッキーボーイ的な存在かなと思いまして、チームに勢いをつける意味でも、本当は阿南はずっと1番を打たせていたので、もう1度阿南を1番に、運も味方にというか、ラッキーな選手を1番にもってこようと思って」。攻守で期待に応える活躍だった。

阿南は「うれしい気持ちでいっぱいだが、まだ1試合、決勝が残っている。この瞬間から切り替えたい。作戦を立て明日(4月1日)勝ちたい気持ちでいっぱいです」と引き締めた。決勝の相手は、東海大相模(神奈川)。阿南の好きな言葉は「かかってこい」。甲子園初Vをかけ、春夏4度優勝の相手に挑む。【菊川光一】

◆阿南心雄(あなん・しゆう)2003年(平15)6月9日生まれ。大分市出身。福岡・当仁小3から当仁ジュニアマリナーズでソフトボールを始める。福岡・当仁中学から糸島ボーイズで遊撃、投手。右投げ左打ち。趣味は掃除。50メートル走6秒3。遠投80メートル。179センチ、80キロ。

◆阿南の智弁学園戦スーパープレー 5-3で迎えた6回2死一、三塁での守備。相手4番・山下は左翼へ大きな打球。抜ければ同点という当たりだったが、レフト阿南は背走しながら伸ばしたグラブに収めた。フェンスに激突し、しばらく動けなかったものの、執念でボールを離さなかった。

◆選手時代にV 明豊・川崎絢平監督は智弁和歌山1年の97年夏に優勝。平安との決勝では優勝の瞬間に遊撃を守っていた。08年春の比嘉公也監督(沖縄尚学)以来となる選手&監督のVなるか。

▽明豊・太田(先発で6回途中3失点)「試合をつくることが目標だったので、試合がつくれて良かった」

▽明豊・幸(初の決勝進出に)「最高にうれしい。勝ちにつながったのは技術どうこうじゃなく、全員の気持ちが勝ちにつながった」

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