2年ぶりの夏の甲子園は、29日の決勝で智弁和歌山が智弁学園(奈良)を下して幕を閉じた。

甲子園で5度の優勝を誇る横浜の元監督、渡辺元智氏(76)に大会総括を聞いた。今大会は近江(滋賀)が優勝候補の大阪桐蔭を破り、初出場の京都国際が躍進。近畿勢が4強を占めたが、その背景に大阪桐蔭の存在を挙げ、「名将の目」でこの大会を分析した。【取材・構成=酒井俊作】

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智弁和歌山と智弁学園は決勝までの歩みが違いました。智弁和歌山は戦いながら状態が上昇し、決勝がまさにピーク。一方の智弁学園は下降線。8月26日の明徳義塾と戦う前にピークが来ていたのではないか。

私の経験では高校生は、1週間はベストコンディションを維持するのは可能です。横浜を率いていた時、例えば準決勝に照準を合わせる場合、甲子園に来てからもハードな練習をした。調整に入るのは2日前。どこにピークを持って行くか逆算して練習します。智弁学園は初戦が11日で、2回、ピークを持っていかないといけない。智弁和歌山は初戦が遅れて24日。同じような条件なら、打撃力は互角でしたし、多少、違った試合になったとみます。

今大会は近畿勢が史上初めて4強を占めました。自校で練習できる利点はありますが前提として、近畿勢は野球の質が高く、総合力が高い。大阪桐蔭が大きな存在です。周りはなんとしてでも倒そう、となる。目の前に強いチームがいて、自分の目で大阪桐蔭の強さを感じられる。テレビには細かく映らないが球場全体を見ると連係プレーの素晴らしさがある。カットマンの位置や送球の質。大阪桐蔭は2回戦で負けたが、そこがしっかりしています。

私も横浜の監督に就任した68年当初は原貢監督の東海大相模が神奈川で君臨していた。「打倒相模」と言い続けた。60人の部員に毎日「目標は全国制覇」と唱えさせました。東海大相模がいたから、強くなれた。

智弁学園は序盤戦からとにかく低い打球を打たせ、バントをして盗塁も絡めていた。全国優勝を目指していると感じたものです。智弁和歌山と共通して野球がしっかりしている。打撃はトップから最短でバーンとたたくから振りも速い。そこが、アッパースイングが多くなると振りも遅れ、勝ち進むのは難しいと思う。

印象深いシーンもありました。近江・多賀章仁監督の決断力には恐れ入った。23日の大阪桐蔭戦は4点を追う3回1死一、三塁。スクイズで1点取りました。2番打者で、普通なら打たせる場面。初球のファウルを見て監督は「打てない」と思ったはず。タイミングが合っていなかった。外野まで飛ばない、押されている。そこで2球目のスクイズ。選手が一瞬でも戸惑えば、いい結果は出ない。1球で戦術が変わることを、普段から選手に伝えていないといけないが、西山君はしっかり想定していた。1本のファウルから、近江の快進撃が始まった。近畿の厳しい環境で戦う、質の高い野球を見た思いでした。

全国の加盟校は「近畿の戦いだから」とみるのではなく注視すれば相当勉強になる。そんな戦いの連続でした。普段の練習の積み重ねが奇跡の打撃を生む。偶然なんて、ありえません。

◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日、神奈川県生まれ。横浜高では3番中堅手。神奈川大から65年に母校コーチを務め、68年に監督就任。73年春に甲子園初出場初優勝。夏は80年に初優勝した。98年に甲子園春夏連覇、国体も制して史上初の3冠達成。甲子園は春夏27度出場して5度優勝、歴代5位の51勝。15年夏の神奈川大会を最後に勇退した。主な教え子に愛甲猛、松坂大輔、涌井秀章、筒香嘉智ら。