東北勢から悲願の日本一へ-。上位3校に与えられる秋季東北大会の切符を懸けた秋季宮城県大会が、17日に開幕した。秋の東北大会3連覇を目指す“東北の雄”仙台育英(宮城)は、2回戦で角田との初陣を迎える。今夏は、甲子園優勝候補の一角として挑んだが、宮城大会4回戦で仙台商に2-3で敗戦。復権を目指すナインを率いる須江航監督(38)が現在の心境、今後への決意を語った。

短すぎた夏に、悔しさを募らせ、須江監督の新たな挑戦が始まった。

「日本一を掲げながら、土俵(甲子園)にすら立てなかった。もう、2度と同じようなことを起こさないための教訓にするしかありません」

7月17日。夏の宮城大会4回戦。仙台商に2-3で競り負け、日本一を目指した夏は、まさかの幕切れを迎えた。先発したエース伊藤樹(3年)が、押し出し四球と右犠飛で3回に2点を与えた。5回には適時失策で1点を失い、この1点が決勝点となった。

慢心、油断。そんなことは一切なかった。むしろ「1つのヤマであり、相手は強い」と認識していた。須江監督も「苦しくなったり、リードされる展開もあるし、9回の裏まで負けていることもある。そういう覚悟で行こう」と試合前、選手に念を押していた。相手の分析も徹底的に行った。準備に抜かりはなかった。先発左腕・宮沢太陽(3年)とエース右腕斎賢矢(3年)の継投策も想定内。打線は9安打を放ったがあと1本が出ない。捉えた打球は内外野の正面を突いた。「打球がどの方向に飛ぶのか仙台商さんも勝つためによく研究していた。『当たって砕けろ』の感覚ではなかったです。チームレベルではなかったとしても、個人レベルでは必ず研究していたと思います」と淡々と振り返った。

敗戦当日から須江監督は自問自答を繰り返した。なぜ負けたのか。敗因はどこにあったのか。仙台商との試合映像を7月中に10回以上は確認した。1球1球をメモし、選手は何を考えて打席に立っていたか。監督は何を思い、何のサインを出したか。寝る間も惜しんで敗戦と向き合った。「仙台商と10試合は戦いました。10試合も見れば分かると思います」。

敗因は何なのか。指揮官は2つの見解を示した。

<1>「メンタル的な要素はない。あの展開を打破する思考力がなかった。展開を読んで、何がこのゲームに求められているのか、監督も含めて、選手たちも考えて選択することができなかった」

<2>「負ける怖さを忘れていた。県大会で負けることが、こんなにも怖いことなんだ、悲しいことなんだと、僕も忘れていましたし、チームも忘れていた。なのでスキルもフィジカルも選手個人の調子も、ここに合わせることができなかった。それは全て私自身の甘さです」

「負ける怖さ」。須江監督にとって県大会初黒星だった。17年12月に就任。昨夏の独自大会を含め夏は4連覇。県内の公式戦連勝は「44」に伸ばしていた。現3年生も今春センバツ8強で全国でしか負けを経験していなかった。「指導者人生で勝負の厳しさは何度も味わってきましたけど、もう1つ深いところで勝負の怖さを選手に伝えることができなかった」。負ければ終わり、一発勝負の高校野球。わかりきってはいる。忘れかけていた初心を思い起こした。「後悔してもしきれませんが、県内で負けないと本当の怖さを知れなかった。これ以上の教材はないと思っています」。

18年夏の甲子園初戦敗退から「日本一への1000日計画」は最終章だった。現3年生はそれにふさわしく、チームも仕上がっていた。指揮官は言う。「故障者の回復と勝ちながら強くなるという条件つきで『優勝する』と本当に言えるスタートラインに立っていた。それだけの準備をしてきた自負もあったし、3年生はそれだけ素晴らしい取り組みをしてきた」。島貫丞(じょう)主将(3年)を中心に選手は人間性の部分でも、大きく成長してくれた。須江監督は「島貫のチームで取りこぼしは起きないと思っていたし、自立もしていた。試合も練習も何一つ言うことはなかった」。チームが掲げる「日本一から招待」。練習に対する姿勢、日常生活の態度は、まさに日本一にふさわしかった。それでも甲子園に立つことすらなかった。「1000日計画でやっていたことを、アップデートしていかないといけない。同時に取り組みを整理して、そぐことはそいでシンプルにしないといけない。同じことをしていても、同じ結末になる」と、今後を見据える。

「日本一熾烈(しれつ)な競争」。指導理念として、その根底はぶれない。新チームが始動して約2カ月。グラウンドでは1、2年生60人がしのぎを削り合う。「もう1回、選手選考の基準、果たしてどんな選手が必要なのか。理念は変えないですけど、さまざま正しいと信じてきたことを止めることも必要だと思います」。短すぎた夏は、秋への長い助走になった。「緻密に準備はできました。強いかどうかと言われれば強くないですけど、新チームは成長しました」と確かな手応えも口にした。

若き名将が負ける本当の怖さを知り、東北勢悲願の大旗白河越えを目指し、チームは新たな船出を迎えた。【佐藤究】