3月のセンバツに出場した東洋大姫路は履正社(大阪)の前監督の岡田龍生新監督(60)が2日、兵庫・姫路市内の同校グラウンドで始動した。

前日1日、保健体育教諭として同校に着任。この日午前、54人の生徒の前で第一声を発した。ナインに伝えた4分54秒の「魂の所信表明」は以下の通り。

「昨日付で、東洋大姫路高校の監督に就任することになりました岡田です。少し自己紹介させてもらうと私も本校、東洋大姫路の卒業生です。15回生です。あそこにある(石碑の)梅谷さんが監督で、横におられる田中さんは副部長のときでした。グラウンドも、学校の上のグラウンドで練習しているときで、このような非常に素晴らしい施設ではなかった。それから、まさか入学したときから、45年で母校の監督を引き受けるとは、夢にも思ってなかった。そういう話をいただいて、藤田監督の後を継いで、監督を引き受けさせてもらうことにしました。この春は非常に残念な結果(センバツ1回戦敗退)やと思います。みんなも『甲子園や』と思っているうちに甲子園が終わって、本当は僕は甲子園の楽しさというのは、1回勝って、校歌を聞いて初めて甲子園の良さが分かるんじゃないかと、指導者になってからも思っています。

ちょうど入学してすぐに全国優勝して、全国優勝した瞬間、アルプスで応援していました。自分らの時代はセンバツでベスト4、2回目のセンバツ出場でベスト4まで行って。甲子園では勝って校歌を歌ってという経験が選手としてもあります。指導者としてももちろんあります。甲子園で校歌を歌う経験を今回、できなかったけど、もう1回、チャンスがある。僕もセンバツの試合を見させていただいたけれども、今のままでは、なかなか、この兵庫県を勝ち抜くことは難しい。7月までの間にしっかり力をつけて、もう1回、自分らの野球を見直して、見つめ直して夏に臨んでほしい。もう1度、夏、甲子園に出て、残念ながら、春、負けて、校歌を歌えなかった三牧部長、藤田監督を是非、アルプスに招待して、君らの甲子園での勇姿を是非、三牧先生と藤田監督に見てもらえるように頑張ってほしいと思います。

やり方はいろいろといままでと違うことも起こるかもわからへんし、また、東洋大姫路というものを大事にしていきたいと思っています。それと59回大会で全国優勝した学校なので、僕がここに来ると決めたときには、もう1度、東洋大姫路で日本一になって、姫路に優勝旗を、全国優勝の優勝旗を持って帰ってきたいと決めて、監督を引き受けました。そのつもりで、君らも甲子園に出れたらいいわと、先輩としては今回のセンバツ出場は非常にうれしかったです。ちょうど14年前、近畿大会の準決勝で東洋大姫路と履正社がやって、東洋大姫路が勝って、そして、近畿で優勝して神宮大会に行った年です。それから14年ぶりに甲子園が決まったわけやな。夏は原樹理投手の時で10年、出ていないこともある。是非、強い東洋大姫路復活のために、プレーするのは君ら。そのつもりでグラウンドに出てきてほしい。もう1度、優勝して優勝旗を持って帰る。これから大変なことも多いし、戸惑うことは多いと思う。分からんことはどんどん聞いてもらって、分からんことはいろいろ質問してもらって、レベルの高い野球にして、レベルアップさせていきたいと思って、今日から指導させていただきたい。1つ、よろしくお願いします」

19年に夏の甲子園優勝に導き、ヤクルト山田哲人内野手(29)ら数多くのプロ野球選手を育てた名将だ。

3月のセンバツは1回戦で高知を相手に2-4で惜敗していた。先発森健人投手(3年)は9回4失点完投だったが、打線が7回まで4安打無得点に抑えられるなど、攻撃力不足が浮き彫りになっていた。岡田新監督は「打力不足。改善しないといけない。夏は打てないと勝てない。履正社のような形でやっていきたい」と抱負を語った。【酒井俊作】

 

◆岡田龍生(おかだ・たつお)1961年(昭36)5月18日、大阪府生まれ。東洋大姫路では正三塁手だった79年センバツで4強。日体大、社会人の鷺宮製作所でプレー。85年から桜宮(大阪)でコーチを2年務め、87年から履正社監督。97年夏に甲子園初出場。19年は夏の甲子園優勝。甲子園は春9度、夏4度で通算22勝11敗。保健体育教諭。