母校を率い、東北勢初の「白河越え」を成し遂げた仙台育英・須江航監督(39)。01年センバツでは記録員として、目の前で優勝の胴上げを見てから21年目の夏。監督としてその悔しさを晴らした。仙台育英ではグラウンドマネジャーの経験が指導者を志すきっかけとなった。「人生は敗者復活戦」を心に、根気強く指導を続け、チームを頂点に導いた。

     ◇     ◇     ◇

優勝の瞬間、須江監督はあふれ出る涙を抑えきれず、左手で目頭を押さえた。

高校、大学とマネジャー一筋。「僕は高校時代に1試合も試合に出たことがなかった。でも、リーダーシップを評価されて高2の秋に学生コーチを任された。それが指導者を目指すきっかけになりました」。

その原点は系列校で、06年創部間もない秀光中軟式野球部での監督経験だ。打ったら三塁に走る選手に驚いた。同僚だった絵菜夫人(39)は「野球経験のない子どもたちにどんな指導がいいのか。それに苦労したと思います」。自費で野球道具をそろえ、野球の楽しさを教える方法を模索した。「勉強ができる子が多かったので、何か役割を与えたかったのでしょう」。この頃から、選手とともに少しずつデータ分析に取り組み数字を可視化した。同中OBで昨年主将を務めた島貫丞内野手(日体大1年)は「勝てるすべと楽しさを教わった」と話した。

18年1月に仙台育英の監督に就任しても、その姿勢は変わらない。「主人は野球のことしか頭にありません」。(絵菜夫人)。帰宅後も選手や対戦相手の動画を見て分析。選手の心のケアと深夜まで作業を続けた。選手とともに涙する熱血漢。昨夏、全国優勝を狙えるチームを率いながら県4回戦で敗戦すると「監督である自分の責任だ」と涙を流し選手に頭を下げた。絵菜夫人は「でも、主人はいつも楽しそう。そんな主人を尊敬します」と笑った。

野球にストイックな須江監督も、息子の明日真くん(8)、娘の恵玲奈ちゃん(5)にはめっぽう甘い。イベントごとだけは絶対に欠かさない。誕生日は必ず一緒にケーキを食べ、クリスマスにはサンタクロースのコスチュームを着て喜ばせた。いつも全員で声をそろえ、家族の合言葉は「日本一」と叫んだ。

19日、絵菜夫人は甲子園素盞嗚(すさのお)神社に優勝祈願をした。明日真くんとともに引いたおみくじは、そろって「大吉」。優勝に導かれた須江監督。絵菜夫人はアルプスから「ありがとう」とつぶやいた。【保坂淑子】

◆須江航(すえ・わたる)1983年(昭58)4月9日生まれ、さいたま市出身。小2で野球を始め、鳩山中(埼玉)から仙台育英入学。2年秋から学生コーチとなり、3年春夏の甲子園に出場(春は準優勝)。八戸大(現八戸学院大)でも学生コーチを務めた。06年から仙台育英系列の秀光中野球部監督となり、14年に全国制覇。18年1月から仙台育英に就任。1年目の夏から甲子園に出場した。情報科教諭。

【まとめページ】仙台育英「白河越え」東北勢悲願の初V 記事&祝福の声&歴代担当記者振り返り