2022年(令4)も残すは10日。道産子選手らの活躍で沸いた北京五輪(2月)に始まり、強豪撃破で日本中が熱狂したサッカーW杯カタール大会まで、話題盛りだくさんの1年。あの日、あの時、あの勝負…舞台裏も含めて、担当記者が22年の出来事を振り返る。

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苫小牧中央の最速151キロ右腕、斉藤優汰投手(18)が、広島からドラフト1位指名を受けた。道内高校からの1位指名は07年楽天1巡目の寺田龍平(札幌南)以来15年ぶり。運命の10月20日、同高内で斉藤の母明美さん(56)と、指名の瞬間に立ち会った。

どんな育て方をしたら、こんなに立派になるのか。現在は189センチ、90キロの恵まれた体格だが高校入学時の体重は70キロ前後。中学までは食が細く、弟翔太君(苫小牧中央1年)の方が大きな丼で食べていたそうだ。明美さんは「優汰は中学まで朝はパン。食は細かったですけど無理に食べさせて嫌がられるのは良くない」と、たくさん食べるよう、強いたことはなかった。

高校の寮生活は毎食、ご飯を丼3杯食べるのがノルマ。パン食に慣れていた斉藤は苦しんだが、白米と「のりたま」のふりかけのセットが自分に合うと“発見”し「1年の冬には食べて体を大きくするのが楽しくなった」。明美さんは「高校でお米のおいしさに気付いたようです」と苦笑い。心配してもしすぎない。子ども自身の克服力を信じる、母の懐の深さを感じた。

実家生活の中学まで明美さんが「勉強しろ」と言うこともなかった。「意外と机に向かう時間が長い子でした」。岩見沢の進学校、岩見沢東に入る学力もあったが、野球で勝負するため、2学年上に日本ハム入りした根本がいる苫小牧中央を、自分で選んだという。

今春「プロを目指す」と言い出したときだけ「そんなに甘くない」と厳しく突き放した。意志は変わらなかったが、それまで自由にさせてくれた母の言葉に発奮。最終学年で精神的にも成長し、評価は一気に上がった。自分の息子は斉藤の2学年下。まずは自由に、やりたいようにさせている。いつか大事な場面で明美さんのように、ばしっとムチを入れられるか。親として、深く考えさせられる“ドラ1子育て術”だった。(野球担当・永野高輔)