高校野球のドラマは、勝った者にだけ生まれているわけではない。日刊スポーツでは今夏、随時連載「君がらんまん」で、勝者だけでなく敗者にもスポットを当てた物語をお届けする。

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<高校野球鹿児島大会:鹿児島高専5-3喜界>◇5日◇1回戦

喜界の双子バッテリーの夏が終わった。鹿児島大会1回戦、3-5で鹿児島高専に敗戦後、兄の住友晴城(はるき)捕手と、弟晴哉(せいや)投手(ともに3年)は、こみ上げる涙を抑え切れなかった。

昨夏、母理恵さんが心不全で他界した。49歳だった。兄の晴城は「一番応援してくれていた。だからこそ、勝ちたかった」と天を仰いだ。1-1の同点で迎えた6回無死一塁、一時勝ち越しとなる右中間への適時二塁打を放つと、塁上では右こぶしを天へ突き上げた。「心の中では『お母さんのおかげで打てたよ』と思って」。声を震わせながら、亡き母に感謝した。

直後の6回に同点とされ、なおも1死一、二塁。「入るな」。双子の2人はそう願った。だが、打球は無情にも左翼芝生席で弾んだ。痛恨の決勝3ランを許したエースでもある弟の晴哉は「自信のある直球を打たれた。後悔はしていないけど、1球の重さが勝敗を分けた」と、1球に泣いた。

5日前に喜界島を出発する際、2人は手を合わせて母の仏壇で誓っていた。「これから頑張ってくる。応援していてね」。試合には敗れたが、2時間7分を全力でやり切った。「家に帰って、『応援してくれてありがとう』とお母さんに伝えたい」。2人は涙ながらに、口をそろえた。【佐藤究】

○…晴城と晴哉の父巧さん(50)は喜界島から仕事の合間を使って、アプリ視聴で息子の試合を見守った。理恵さんが亡くなり、男手一つでサポートを続けてきた。「少しでも、体も大きくなってもらいたい」と毎朝4時に起床し2人の弁当を作った。試合は惜しくも敗れたが、2人はともに2安打を放ち、最後までバッテリーを組んだ。「よく耐えて、一生懸命に頑張ってくれた」としみじみと話した。

◆喜界島 鹿児島市から約380キロで、奄美群島で最も北東部に位置。人口は約7000人。面積は56・82平方キロ。「日本でもっとも美しい村」の1つとされ、「シュガーロード」と呼ばれるサトウキビ畑の1本道は島のシンボルでもある。