神村学園(鹿児島)が仙台育英(宮城)に敗れ、夏の戦いを終えた。

神村学園はこの日も、定番となっている松永優斗投手(3年)から黒木陽琉(くろぎ・はる)投手への継投で戦ったが、前年王者を封じることはできなかった。

背番号10を背負い、ソフトバンクのリリーフ左腕を参考にした「モイネロカーブ」を武器に今大会好救援を続けてきた黒木は2回途中という早いタイミングで出番が回ってきた。この回には仙台育英の「安打製造機」橋本航河外野手(3年)を二ゴロに抑えた。しかし3回に本塁打を含む4失点。「厳しく投げないといけないところで、真ん中に入ってしまった。あの場面で踏ん張れなかったのが悔しい」と涙目で振り返った。

それでも聖地での投球は、自身の評価を大きく上げるものになった。そこに至るまでにはいくつもの苦境があったが、乗り越えた先に、未来につながる夏が待っていた。

高校1年時には、左肘を痛めて医師から「もう野球はできない」と宣告された。懸命のリハビリで再び投げられるようになったが、それでも昨秋の九州大会のメンバーには選ばれず、大きなショックを受けた。

指導者との野球ノートに「もうやめたい」と書き、その日のうちに家に電話をかけた。珍しく自分から弱音を吐く電話だった。母・咲子さん(47)は「小学生の頃以来の号泣だったと思います」と振り返る。2人で泣いたその夜に、母から送られた言葉が、黒木を思いとどまらせた。「メンバーに入れないのは、何かが足りないということ。それを自分で見つけない限り、メンバーには入れないよ」。

気持ちの面と継続性に課題を感じていた左腕は、翌日から自身に厳しさを課し、心身を鍛えるために、早い日は朝3時に起きてランニングをするようになった。

継続した努力は変化につながり、小田大介監督(40)が「すごく前向きに努力をできるようになった」と目を細めるまでに。今夏チームをベスト4にけん引するまでのピッチングは、経験不足を心配し、あえて難しい場面で登板させるなどして場数を踏ませてきた指揮官にとっても「こんな順調にいくとは思ってなかった」と驚くほどだった。

次の目標は、プロの世界だ。大学進学の話もあったが、「早く母を楽にさせてあげたいので」と女手ひとつで育ててくれた母への恩返しを早くしたいと考えるようになり、プロ志望に切り替えた。母は「そんな話は全然聞いてなくて」と驚きも見せたが、夢に向かう息子をアルプス席から誇らしそうに見つめていた。

「プロ野球で一流の選手になって、多くの方に感動や勇気を与えるような選手になりたいです」。母子で戦い、聖地で一気に注目度を上げた左腕の野球人生は、これからも続いていくことになりそうだ。【永田淳】