年月を経て、かつて取材した話の輪郭がはっきりしてくることがある。当時は価値が分からなかったことが、後に取材を重ねたことで理解できる瞬間がある。「ああ、そうだったのか~時を経て知るあのプレー、あの言葉」と題し、記者が取材ノートをひもといていく。
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人事異動などでプロ野球の現場を離れ、久しぶりに担当チームの選手に会うと、当時はそこまで理解できなかったプロ野球選手のすごさに、初めて触れることがある。無知ゆえに知らなかったことが「ああ、そうだったのか」と深く納得できるのは、うれしい。
楽天の投手コーチになっていた元ヤクルトの伊藤智仁さん(現ヤクルト投手コーチ)と、そんな話をすることができた。4年前。沖縄・金武のキャンプ地で20年ぶりに顔を合わせると、伊藤さんは「ああ、久しぶり」と覚えていてくれた。
それだけでもうれしいものだが、覚えてくれていたのならと、何の準備もなくとっさに聞いた。「今でも伊藤さんのスライダーは特別だったと思っています。でも、どうしてあんなにバッターは打てなかったんでしょう? 自分ではどう感じていましたか?」。
悪く言えばぶっきらぼう、良く言えばとてもフランク。回りくどい表現はなくて、真っすぐに本質を言ってくれる。その気質は何も変わっていなかった。
「ちょっとそこに立ってみて」。言われるままに、伊藤さんに向かって右打者が構えるように立った。
すると、伊藤さんは右腕を伸ばし、手先を手刀にして、投げたボールのコースをたどるように私の方へずんずん向かってきた。「こうでしょ」と言いながら。「右バッターの外角を狙う時は、こういう感じで狙って投げてたね」。
そう言いながら、伊藤さんは手刀で、私のたるんだ左の脇腹をグッと突いた。私は「ウッ!」と小さく悲鳴を上げて、のけぞった。「デッドボールじゃないですか?」。すると伊藤さんは笑いながら「そうだよ、そのまま行けばね。でも、そこから外角に曲がるから」と、事もなげに言った。
私は「え~っ! そんなに! 曲がるんですか?」とあらためてそのえげつないほどの変化に驚く。伊藤さんはサラッと言葉を続けた。「そりゃ打てないでしょ。だって、デッドボールだと思うじゃん。ぶつかるって避ける軌道だから」。
私は以前、死球王といわれた右腕の恐ろしさを右打者から聞いたことがあった。その打者が言うには「そのピッチャーの左肩が開かずに、こちらに向かってくるから、これは当てられると感じて、どうしても腰が引けた。目も、俺の体を見てるから、余計に恐ろしかった」。
そうした打者心理を踏まえると、伊藤さんのスライダーの怖さが、ものすごくリアルに感じてきた。伊藤さんのダイナミックなフォームと、途中まで真っすぐに体に向かってくるボールの軌道。恐ろしい球筋に見えるはずだ。
腰がピクリとでも動いたら最後、ギュイ~ンと外角目いっぱいへ曲がっていくスライダーに、バットは届かない。なるほど、これでは打てないはずだと。伊藤さんの手刀が左脇腹をつついた時に実感した。
となると、内角へのスライダーはどうなるのか? 完全な好奇心で聞くと、また「立ってて」と言われた。どんな軌道が来るのか、ワクワクしながら待っていると、伊藤さんの手刀はぐんぐん進んできて、そのまま背中へ抜けてしまった。
「えっ、背中を通すんですか?」と聞いてしまうと、笑いながら「通さへんよ。そういうイメージ。そこから内角に曲がるから、俺のスライダーは」と教えてくれた。
ヤクルト担当だった時、こんな会話はできなかった。伊藤さんにはできたのだろうが、私の取材力がまるで足りなかった。「伊藤智仁の高速スライダー」とか「伝家の宝刀」という安直な表現を繰り返しただけで、そこから先を深く知ろうとしなかった。
時間はかかってしまい、伊藤さんはもう現役を終えている。遅きに失したが、それでも直接本人から何が、どこが、どう特別だったのか、聞くことができたのは幸せだった。左脇腹には、伊藤さんが突いた手刀の感触が残った。「そうか、それなら打てないはずだ」。
ヤクルトの元監督だった野村克也さんの言葉だ。「森羅万象、物事には必ず根拠がある」。
変化量が大きいから打てないと思っていた。確かに鋭く、急激に変化するから打てないのだが、打者の恐怖心がそこにあった。それを伊藤さんは深く理解してスライダーを操っていた。だから特別だったのだ。手刀の指先が、教えてくれた。【井上真】





