【台北(台湾)10日=柏原誠、保坂恭子】高校ジャパンが初めて世界の頂点に立った。

V候補筆頭の地元台湾に対し、1点を追う4回にバント3連発で2点を奪って逆転。前田悠伍投手(3年=大阪桐蔭)がリードを守って投げきった。パワー野球全盛の時代に、全員で1点をもぎ取り、守り勝つという日本の高校野球の神髄を世界に見せつけた。名将・馬淵史郎監督(67=明徳義塾監督)は万感の思いで台北の夜空に舞った。

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前田がすべての感情を解き放った。「ゆうごりん、ありがとう!」。次々と近寄ってくる仲間たち。夢のような時間に身を任せた。「自分が世界一に導くことだけを考えて投げました。最高のチームで世界一を取れて一番うれしい時間でした」。笑顔が爆発した。

初回に2安打されて1失点。台湾の客席は大歓声。異様な空気は感じたが、浮つくことはない。「甲子園でアウェーの雰囲気は経験しましたから。下関国際、報徳学園の時もそうでした。焦りはありませんでした」。2回からは、前田らしく打者を見下ろした。

強打の台湾相手に全力で左腕を振り、チェンジアップで腰砕けにした。4回に2-1と逆転。その後、2度の得点圏も抑え、最終7回は先頭を高中の失策で出したが、少し笑みを浮かべて残り3人を片付けた。7回1失点。まさにエースの仕事だった。

滋賀県で生まれ育った前田は根っからの負けず嫌い。4歳上の兄詠仁さんや8歳上のいとこの大地さんと遊び、ゲームのマリオカートで負ければ「もう1回」と食らいついた。野球遊びで田んぼに入ったボールを取りにいくのは末っ子の役目。号泣しながら田んぼに走った。小学生のときに詠仁さんに教わったのがチェンジアップ。「思い切り腕を振るんや」。世界を驚かす魔球にまで磨き上げた。

2年春にセンバツ制覇。2年秋の明治神宮大会も制し、今春センバツは4強。だが今年は本来の球がいかず「前田は成長していない」との声も耳にした。最後の夏は大阪大会決勝で履正社に負けた。プライドはかなぐり捨てた。「この大会で優勝するためだけにやってきた」。日の丸を背負った前田悠伍が、真のサムライになって帰ってきた。

 

◆前田悠伍(まえだ・ゆうご)2005年(平17)8月4日生まれ、滋賀県長浜市出身。小学6年時にオリックスジュニア選出。湖北ボーイズでプレーした高月中1年時、U12日本代表でカル・リプケン世界少年大会優勝。大阪桐蔭では1年秋からベンチ入り。昨秋の神宮大会では大会初の連覇に貢献。甲子園は春夏通算3度出場し、昨春優勝、昨夏8強、今春4強。今夏は大阪大会決勝で履正社に敗れた。180センチ、80キロ。左投げ左打ち。