花巻東(岩手)から世界へー。米スタンフォード大へ進学が決まった高校歴代最多の通算140本塁打を誇る佐々木麟太郎内野手(3年)が1日、花巻市内で卒業式に出席した。

大会規則によっては、来年7月に開催される日米大学野球選手権のアメリカ代表に選ばれる可能性もあり、夢は広がる。昨秋から通訳兼アドバイザーとして佐々木麟を支えてきた友永順平さん(56)が日刊スポーツの独占取材に応じ、初めてスタンフォード大に決まるまでのいきさつなどを明かした。

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「Best of luck to your future endeavor!(これからの努力が実り多いものになりますようお祈りします)」。友永さんは、約8000キロも離れたロサンゼルスから、日本の佐々木麟へ卒業のお祝いメッセージを送った。文武両道でアメリカの大学へチャレンジしようとする精神に魅せられ、約半年、大学進学を支えてきた。

それは2月14日だった。多くの大学からオファーを受け4大学に絞った佐々木麟は、熟考を重ね、スタンフォード大のエスカー監督、コーチ、リクルート担当者とのZoom面接で、こう切り出した。「スタンフォード大学に行くことに決めました。よろしくお願いします」。その瞬間、いつもは物静かなエスカー監督が「イエ~ス! 今日は素晴らしい1日になった! サンキュー麟太郎!」。立ち上がり両手を突き上げ喜んだ。

それだけ、佐々木麟はスタンフォード大にとって期待の選手だった。友永さんは日米大学野球の通訳を98年から務めるなど、現地の野球に精通している。昨年9月、電話が鳴った。相手はスタンフォード大のトーマス・イーガー投手コーチだった。「麟太郎は今の高校生のレベルでは群を抜いている。スタンフォード大としても左の大砲が欲しい。願ってもないチャンスだ」。佐々木麟がアメリカの大学進学を表明して、すぐのことだった。

わずか18歳の少年が、新しい道を切り開こうとしている。友永さんは、そのチャレンジ精神に心を奪われた。「野球が終わってからの人生の方が長い。僕はそのための礎を大学で作りたい。それにはアメリカの大学が一番いいと思いました」という佐々木麟の声は、力強かった。友永さんは「大きな挑戦に飛び込む勇気。麟太郎君が夢に描いている世界が実現できるよう、お手伝いしたい」と、ボランティアで通訳兼アドバイザーを引き受けた。大学とのアポイント、交渉に、麟太郎と、父で花巻東の佐々木洋監督(48)への説明。何度もZoom会議を重ね、信頼関係を深めた。

年明け11日からの公式訪問にも同行した。各大学、寮での朝食に始まり、キャンパス、グラウンド、施設見学に練習、ミーティングに夕食。1日かけての熱烈歓迎ぶりは、他の選手たちが「こんな歓迎は見たことがない」と驚くほどだった。スタンフォード大は野球部員が35人と決まっており、1学年は9~10人。「日本で例えると、社会人野球に行くイメージ。一般で入学して野球部に入ることはできません。すべてスカウトで入部。その中でもフルスカラシップは麟太郎君だけ」。一般入試での合格率は約3%という狭き門だが、それは野球部も同じ。世界のスタンフォード大なのだ。

新たな夢も広がる。今年9月に入学。来年7月には日米大学野球選手権が日本で開かれる。「麟太郎君は1年生。アメリカ代表に選ばれる可能性があります」と友永さんは言う。大会規約によっては「USA」のユニホームを着て日本凱旋(がいせん)も夢ではない。「全米から代表に選ばれるのはわずか20名ほど。ここで選ばれたら、26年のMLBドラフトでの指名が現実味を帯びてくる」。MLBやNPBだけではない。代表入りも、また新たな目標になりそうだ。

心に残る佐々木麟の笑顔がある。公式訪問中、ドジャースタジアムを訪問した。ここは今季から花巻東OBでドジャース大谷の本拠地になったばかりだ。「グラウンドやダッグアウトにも入れていただいた。『いつかここに立てたらいいね』って話をして。感動していましたよ」。球場の大きさ、緑輝く芝生に目を輝かせていた。

「麟太郎君は日本の宝です。誰も歩んだことのない未知の世界で成功して欲しい」。麟太郎の名前は、父が尊敬する勝海舟の幼名「麟太郎」から命名された。「事を成し遂げる者は、愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない」。勝海舟の言葉だ。足元を見つめ、将来を捉える。佐々木麟と友永さん。共に時代を作る未来が見える。【保坂淑子】