西武は13日、投手育成アドバイザーの清川栄治(きよかわ・えいじ)さんが悪性腫瘍のため5日に都内の病院で死去したと発表した。62歳。京都市出身。

広島と近鉄で救援左腕として活躍し、438試合連続救援登板の当時の日本記録を持っていた。

引退後は99年から広島、07年からはオリックス、14年からは西武で1軍、2軍の投手コーチ、育成担当などを歴任。幅広い知見を持ち、西武では現在1軍で活躍する高橋や今井、昨季支配下登録されて好投した豆田らの育成に従事するなど手腕を見せてきた。

◇◇◇

清川栄治さんはコーチが天職だったのではと思う。記者は広島コーチ、オリックスコーチ時代に取材させてもらった。ともに在籍時はチームの低迷期。一流とは言えない投手をどう引き上げようかと腐心する姿ばかりが思い出される。グチをこぼすときの顔も柔和。困難と向き合う時間は、どこか楽しそうだった。

現役時は左のサイドスローで中継ぎ1本。大野豊、北別府学、川口和久らとの差に絶望し、変則派の道へ。「それしか生きる道はなかったから。とにかく必要とされたかった。『困った時の清川』って言われるとうれしかったね」。コーチになってから、献身的な働きをする投手を「困った時の○○」と呼んで、モチベーションを与えていた。

指導の引き出しが絶えないアイデアマン。低めに投げさせるため、ブルペンの捕手のエリアをスコップで掘って、無理やり低く構えさせた。重さの違うボールを投げさせるなど、現在主流になっている多くのトレーニングも10~20年前に1度は試していた。勉強熱心で、日刊スポーツで気になった記事を切り貼りしたノートを持っていた。

グラウンドを離れても野球の話ばかり。ただ、個人的に強く思い出されるのは野球以外のことだ。オリックスコーチ時代の09年。仙台への移動日に食事の約束をしていた。記者は時間に数分、遅れてしまった。新幹線の車中から仙台駅で一緒に降りるまで、気分を悪くした小学生の看病をしていた。成り行きでそうなっただけなのだが、清川さんは「よくやったよ。困っている人に手を差し伸べられる人になりたいと思って、俺はずっとやってきたから。おまえは本当に偉い」と、恥ずかしくなるほど褒めてくれた。

広島で、現役中に亡くなった「炎のストッパー」津田恒実さんと唯一無二の親友だった。病魔と闘う津田さんをめぐる友情話は尽きない。当時の心境は「自分に何かできないか」「何とかしてあげたい」の一心だったとよく話していた。コーチ時代も、困っている人を助けたいという思いが根底にいつもあった。

生涯通して「困った時の清川」であり続けたかったのだろう。天国でも思う存分、あの柔和な顔で野球の話をしてほしい。【柏原誠】