<高校野球宮城大会:古川工3-1利府>◇26日◇決勝

 古川工が3-1で利府を下し、48年の創部以来、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。エース山田大貴(3年)が、6安打1失点で完投。全6戦に先発した右腕が昨秋から急成長し、原動力となった。公立勢としては02年の仙台西以来9年ぶり、大崎市の学校としては史上初の甲子園。被災した同市と宮城の代表として、大きな期待を背負って聖地に立つ。

 古川工が、歴史を変えた。大崎市の学校が、夏の決勝で初めて歓喜の輪を作った。チームメートの手で宙を舞った今野晴貴主将(3年)は「夢が夢で終わらなくて良かった。つらいことが続いたから、うれしいの一言」と顔を紅潮させた。

 3月11日、同校がある大崎市古川は、震度6強だった。津波被害はなく、間橋康生監督(40)は「恵まれている方」と言う。だが、損傷の大小はあれど、同市の7000戸以上が被害を受けた。記録員の佐々木元樹(3年)の実家は、大規模半壊の判定を受け一部を取り壊した。野球部のグラウンドも照明の支柱が折れ、突貫工事を要した。

 「春どころか、夏も中止になるかも」。不安と無力感に駆られながらも、不自由な高齢者を避難所へ移送するなどボランティア活動に従事した。「野球ができることを当たり前と思わずにやろう」。震災から約1カ月後の練習再開から、部員は自分に言い聞かせながら練習に打ち込んだ。そんな姿を応援しようと、この日の一塁側スタンドは地元住民で満員。応援に駆けつけた学校最寄りのJR古川駅・星義一駅長(59)は「礼儀正しくて本当にいい子たち。大崎市を盛り上げてほしい」と甲子園での活躍に期待した。

 初優勝の原動力が、エース山田だった。震災直後の2週間、自転車で往復3時間かけて同校に通い、撤去したがれきをリヤカーで運び続けた。「冬場のトレーニングが維持できた」。体重は昨秋から10キロ増えて70キロに。120キロ程度だった直球は、141キロをマークし、連投に耐えられるスタミナを手に入れた。

 見違えるように成長した息子を後押ししようと、母美香さん(45)は、試合前夜の夕飯にカツ丼をこしらえた。2回戦からの全6戦で先発し、計51イニング640球を投げきった山田は「絶対に最後まで投げきるのがエース」と最後は余裕すらあった。間橋監督は「気持ちは熱く、頭は冷静だった」と精神面の成長もたたえた。

 被災地宮城の代表として、甲子園に乗り込む。今野晴は笑顔で言った。「大変な時でも、みんなで元気よく、思い切ってやるだけ」。気負うことなく、全力プレーを聖地で披露する。【今井恵太】

 ◆古川工

 1934年(昭9)古川商業専修学校として創立した公立校。48年から現校名。野球部も48年創部。部員数は47人。春夏ともに甲子園初出場。生徒数は710人(女子175人)。大崎市古川北町4の7の1。森武彦校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦8-0名取3回戦5-1泉館山4回戦4-0塩釜準々決勝6-5東北学院準決勝3-1東北決勝3-1利府