<高校野球長野大会:東京都市大塩尻7ー6松商学園>◇27日◇決勝

 東京都市大塩尻が延長13回、松商学園を下し、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。13回表2死から連打で一、二塁とすると8番杉本一平三塁手(3年)が右中間に二塁打を放ち勝ち越した。その裏も2死一塁で杉本がフェンスに激突しながら邪飛を捕球する劇的な幕切れ。創部49年目の悲願を達成するとともに、塩尻市から初の甲子園と、新たな歴史を刻んだ。夏の本大会は8月6日、甲子園球場で開幕する。

 無我夢中だった。13回裏、2死一塁。三塁側にフワリと打球が上がると、自校スタンドへ飛び込んでいくように、杉本は一直線に背走した。金網フェンスに体の左半身を激突、それでもグラブからボールは逃がさなかった。「痛かったです(笑い)」。左ひざを裂傷しても、つかんだ栄光は大きかった。遅れて歓喜の輪に向かうと、胴上げ投手となった金子豪投手(3年)に抱きかかえられた。

 決勝打もこの男だった。延長10回表1死一、三塁から登板した相手1年生右腕の原に完璧に抑えられた。だが、13回表2死から途中出場の吉田拓外野手(1年)が中前打で原から初めて出塁すると、7番久保田康也外野手(3年)が続き一、二塁。「あそこで決めてやろうと思った」と右中間にはじき返した。2回表1死満塁からの先制スクイズを決めたのも杉本。160センチとチームで1番小柄な男が、最初から最後まで大きな存在感を見せた。

 選手たちの多くは、今年で就任4年目になる新井孝行監督(60)の指導を志願して入学した。6回2/3をロングリリーフした金子は松本市出身。「(地元の強豪)松商と悩んだけど、監督が代わってから評判が良くて」と隣の市にある同校の門をたたき、1時間かけて通学する。

 社会人野球の三菱自動車川崎、高岡一(富山)で指揮を執った同監督は「ミスのないディフェンスで良い試合をしてくれれば勝ち負けは(どうでも)いい」と徹底的に守備を重視する。同校グラウンドは左翼は強豪のサッカー部が練習、右翼も80メートル程度と、私学でも決して恵まれた環境ではない。内外野の連係プレーの練習が不足しがちな中、内野守備は徹底的に鍛えた。併殺の練習ではストップウオッチで計り、打者のインパクトから4秒弱で成立させる練習も行った。選手たちは捕球から送球までの速さや、1歩目の踏み出しを意識し、スピードを上げていった。

 今春、関西遠征で大阪桐蔭や大商大堺(ともに大阪)といった強豪と試合。その間にセンバツも視察、日大三(西東京)や九州国際大付(福岡)の試合も観戦し、選手の多くは全国のレベルを知った。体格や打撃力では及ばないかもしれない。だからこそ、杉本は言う。「守り勝つ野球をする」。指揮官の意図が浸透し切ったチームは、全国でも強さを発揮するはずだ。【清水智彦】

 ◆東京都市大塩尻

 1956年(昭31)創立の私立校。武蔵工大(現東京都市大)付属信州工から09年に現校名。野球部は63年創部、部員数59人。生徒数は809人(女子267人)。OBは元近鉄小池秀郎氏、ソフトバンク中原恵司ら。所在地は塩尻市広丘高出2081。河西靖男校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦5―1松代3回戦11―1阿智4回戦4―1地球環境準々決勝4―3東海大三準決勝2―0松本一決勝7―6松商学園