<全国高校野球選手権:智弁学園2-1鶴岡東>◇12日◇2回戦

 鶴岡東(山形)が、智弁学園(奈良)に惜敗し、初戦敗退となった。8日、鶴商学園時代の初代監督を務め、長年指揮を執っていた田中英則さん(享年64)が急性循環不全で死去。田中さんも成し得なかった夏の勝利はならなかったが、選手は関西の強豪相手に最後まで食らい付いた。

 30年ぶりの大舞台で、鶴岡東が全てを出し切った。先発の佐藤亮太(3年)が、奈良大会で10本塁打の強力打線を相手に8安打2失点と粘投。小さなテークバックで左腕を頭の後ろから振り下ろす変則投法で、内角を強気に突いた。「自分の集大成です」と悔いはなかった。

 見えない力が、選手を後押ししていたのかもしれない。鶴商学園時代の春1回、夏2回の甲子園出場時に指揮を執った田中英則さん(享年65)が8日に死去。現場を退いた後もグラウンドに顔を出しており、選手もよく知る存在。山形大会決勝、甲子園の開会式の入場行進(6日)を見て感激し、甲子園初戦も心待ちにしていた。

 9日のミーティングで、田中さんの教え子でもある佐藤俊監督(40)は選手に伝えた。「今の鶴岡東の伝統を作った人なんだ」。前日11日の練習では、遺影を前に黙とうをささげた。「春の大会も、つえをついて応援しに来てくれたのを覚えている」と遠田真也主将(3年)。夏の甲子園は未勝利。天国の田中さんに、校歌を聞かせてあげたい-。佐藤監督は「先生のためにも校歌を歌いたかった」と残念がったが、選手は最後まで智弁学園に食い下がり全力を尽くした。

 1点差の9回2死二塁。打席の茂木直矢内野手(3年)は祈っていた。「お父さん、打たせて」。00年4月、父勝矢さん(享年46)をがんで亡くした。田中さんが指揮を執った前回出場の81年夏の部長だった。父はバットを、父の死後に田中さんはグラブを与えてくれた。2人の思いを託された茂木が30年の時を超えて、夢舞台に立った。

 最後の打席は二ゴロに終わった。しかし5回には唯一の得点となったホームを踏み、7回には三遊間の強烈なゴロを好捕。「あれはお父さんが捕らせてくれた。絶対にほめてくれると思う」と泥だらけの顔をぬぐった。夏の甲子園に校歌を響かせることはできなかった。それでも力を出し尽くした。茂木は「下級生に伝わってくれれば」と、夏初勝利を後輩に託した。【今井恵太】