夏3度の甲子園出場を誇る所沢商(埼玉)に「二投流」エースが現れた。増田一樹投手(3年)だ。プロ野球で注目される日本ハム大谷のような打って投げる「二刀流」ではない。左右どちらでも投球可能な両投げ投手だ。右肘を故障して左投げを始め、その故障が完治して今年、左右両投げのエースが誕生した。埼玉大会の初戦は11日、児玉相手に異色の背番号1がその実力を披露する。

 シート打撃の登板を終えたばかりの増田に、福地利彦監督(54)から声が飛んだ。「最後5人、右で投げてみろ」。左腕からの横手投げで打者に対したエースに、再度の登板令が出た。6月末、所沢商グラウンドでのことだった。15分後、右上手投げとしてマウンドに上がった。

 右は最速138キロの速球にスライダーを交えて力勝負を挑む。左は130キロの速球と、スライダー、チェンジアップを持つ。増田は「1年秋から左で投手の練習を始めて、肘が治って右でも投げられるようになったんです」。両投げが当たり前のように話した。

 本来は右利き。小学校では右投げ投手だった。6年時に右肘を壊した。医者からは「野球はやめた方がいい」と告げられた。母紀子さん(44)に「左でやってみれば」と励まされ、中学で左投げを始めた。一塁手になり、練習後は自宅近くの公園でカベ当て送球を続けた。「今はもう70メートルぐらいは投げられると思う」。

 中学3年時に右肘を手術した。右ヒザの軟骨を移植する7時間の大手術だった。右も復活して昨年冬から投球練習を始めた。増田は「右の方が速い球を投げられるんで気持ちがいい」という。もっとも周囲は左を評価。3度、甲子園出場に導いた高鍋尚典元監督(70)は「球速は落ちても、左の方が打ちづらい。はまったときは打てない」と話した。

 背番号1をつけた春の大会は初戦で敗れた。所沢に3-4。左で完投した。福地監督は「試合で、左がダメだから右にという使い方はしたくない。いい状態でスイッチしたい。1人で2人分ですが、下手したら2分の1になりますから」。エースとして甲子園経験を持つ同監督が、スイッチ起用の考えを明かした。自らグラブを特注するほど熱が入る。

 「左に合っている打者のときに、右で投げるとか。珍しいのでやりがいがあります」。増田もその気で、最後の夏に挑みかかる。【米谷輝昭】

 ◆増田一樹(ますだ・かずき)1997年(平9)1月1日、埼玉・所沢市生まれ。小学4年で所沢市の少年野球チーム「中冨スカイラークス」に所属。右投手としてプレー。右肘を故障し、所沢中央中では左投げ一塁手に。所沢商では1年秋から左投手となり、2年冬に右投手の練習も始めた。憧れの投手はソフトバンク森福。178センチ、78キロ。両投げ右打ち。