僕が米国に残った理由-。18年1月に大リーグ・パドレスと2年契約を結んだ牧田和久投手(34)が、同チーム傘下の2Aアマリロで懸命に右腕を振っている。

昨季はメジャーで不本意な成績に終わり、今季はマイナー契約スタート。それでも日本球界に戻らず、若手有望株がひしめくパドレスでの過酷な競争を選んだ訳とは。元侍ジャパン守護神の今に迫った。【取材・構成=佐井陽介】

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ゆったりした空気を吸い込めば、牛と牧草の香りが鼻をくすぐる。

畜産で有名なテキサス州・アマリロ。日本でも知られるステーキハウス「Big Texan Steak Ranch」から車を10分走らせた球場で、牧田は黙々とダッシュを繰り返していた。「本当に何もない小さな街でしょ?」。そう笑う表情は、意外にも悲壮感からかけ離れていた。

「自分みたいにメジャーで実績がない選手は、どうしてもこの年齢になると簡単に切られてしまう。実績のない34歳にチャンスを与えるぐらいなら将来のある若い選手に与える。そういうシステムで米国はずっとやってきている。昨年ああいう結果でこういう立場に置かれるのは仕方がない」

18年1月にパドレスと2年契約を結んだ。昨季はマイナーと行き来しながらメジャー27試合に登板、防御率は5・40。若手有望株がひしめくチーム事情もあり、オフにはメジャー契約を結ぶ40人枠を外れてマイナー契約を結び直した。

19年開幕は2Aスタート。「正直メジャーが厳しい状況にいるのは理解している」と話す通り、再びメジャー契約を勝ち取り、公式戦に出場できる25人枠に入るまでには、極めて困難な道のりが待ち受けている。

「米国は日本とは比べものにならないぐらい若手のプロスペクトが多いので」

支配下選手が最大70人の日本球団とは違い、大リーグの球団は3A、2A、1A、ルーキーリーグなど全カテゴリーで常時300人ほどの選手を抱える。ドラフトにしても日本の12球団が毎年計100人弱の指名にとどまるのに対して、大リーグでは年間約1200人が指名される。

特にパドレスは現在、メジャー30球団の中でもトップクラスの数、質の若手有望選手をそろえ、メキシコやドミニカ共和国にも傘下チームを持つ。再びピラミッドの頂点にたどり着くまでの競争の激しさは、想像を絶するものがある。

それでも牧田は米国に残った。13、17年WBCで侍ジャパン救援陣の中核を担い、先発もブルペンもこなせる実力者。多くの日本球団がその動向に注目する中、いばらの道を選んだ。

「日本に帰るという選択肢もあったかもしれない。その方が気持ち的には楽だったかもしれない。でも、こっちでいろいろなことを経験させてもらっているので。プロ野球選手として残り何年できるか分からない。マイナーも経験することで、将来もし指導者になることがあれば、いろんな形でアドバイスできると思うんです」

アマリロで1人暮らし。休日の過ごし方は「バス移動です」。月に2日しかない休日も10時間以上バスで揺られる日常。過酷な環境で10歳以上も離れた仲間と夢を追いかける経験は、確かに何物にも代え難い。

「先のことはどうなるか分からないけど、もし指導者になった場合、必死でもがく選手、芽が出ない選手にもアドバイスできるようになると思う。どん底の経験があれば同じ目線で話せるので。『米国には年俸100万円もらえるかどうかの選手が多くいるけど、みんなアメリカンドリームを目指して好きな野球を頑張ってるよ』と言える。『100マイル(約160・9キロ)を投げる投手はいっぱいいるけど、球が速いだけじゃダメなんだよ』とか、いろんな視点からアドバイスできるじゃないですか」

もちろん、この1年はメジャーのマウンドだけを追い求める。

「35歳になるオッサンがどうなるか分からないですけど…。やりがいはありますよ。与えられた場所、任された場所で結果を残す。やるべきことはどの国でも変わらない。あとは…楽しんでやるしかないかな」

パドレス在籍時の昨季、メジャー屈指の名遊撃手、フレディ・ガルビス(現ブルージェイズ)からかけられた言葉は今も忘れない。「マキ、一度きりの人生、楽しもうよ!」-。

アマリロでは断トツ最年長の34歳。「分からない」英語で仲間とじゃれ合う姿が尊い。牧田は最後、少し照れくさそうに言った。「正直キツいっすよ。でも腐ったら終わりですから」。