西武は7日、松坂大輔投手(40)が今季限りで現役引退すると発表した。「平成の怪物」がメジャーに挑戦したのは07年。当時を知る本紙MLB担当記者が、引退の報に感じたこととは。

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2007年2月。フロリダ州フォートマイヤーズにあるレッドソックスのキャンプ施設の周辺には、異様な光景が広がっていた。クラブハウスの前に、日本のテレビ局の中継車が8台並び、早朝から200人以上の報道陣でごった返していた。日ごろはスポーツとは無関係のワイドショーまで現地入り。マイクを手にした女性リポーターが「たった今、松坂投手が乗った車が駐車場に入りました」と、実況中継を繰り返していた。イチロー、松井秀喜の入団時どころではない。後にも先にも、松坂を超える“フィーバー”には、お目にかかったことがない。

松坂が残した実績の詳細を、今更語る必要はないだろう。ただ、横浜高時代から甲子園を沸かせ、その後、平成の怪物としてスーパースターになっても、素顔の松坂は、つい「大ちゃん」と呼んでしまうほど、実は親しみやすい。無論、敗戦後や故障時は人を寄せ付けないほど険しい表情になるものの、切り替えが済めば、また屈託のない大輔スマイルをのぞかせる。常に礼儀正しく、家族だけでなく、誰よりも仲間を大切にする。高3夏の大会の前には、帽子のつばに「One for All」と書き込んだ。当時の同僚とはプロ入り後も、時間が合えば食事やゴルフに出かける。先輩からはかわいがられ、後輩から慕われるのは、マウンド上での実績だけが理由ではない。

「松坂世代」と呼ばれるようになった際、重苦しさを感じた時期もあった。その一方で、そのフレーズに励まされることも増えたという。甲子園で頂点に立ち、日本のエースとして国際試合のマウンドに立ち続けてきた松坂の立場や思いについて、かつてイチロー氏はしみじみと言った。

「大輔は、ただ投げている人ではない。アイツが背負っているものは何か、人と違うものがある。常に自分だけでない、何かを背負っているんでしょう。なかなか同志という存在はいないんだけど、大輔はそういう意味で唯一の存在かもしれない」

現役引退を決断した今、松坂はこれまで「背負っていた何か」を、ようやく降ろしたのかもしれない。心身ともに長年の疲れを癒やした後、いつの日か、ユニホーム姿の「大輔スマイル」を待ち望んでいるファンは数多い。【MLB担当=四竈衛】