アストロズは5日、同球団一筋で名右腕として活躍し、球団殿堂入りを果たしているJ・R・リチャード氏が4日に死去したことを明らかにした。71歳だった。MLB公式サイトが伝えている。

リチャード氏は1971年9月5日のジャイアンツ戦でメジャーデビュー。9回まで完投して打者15人から三振を奪い、初舞台で初勝利を挙げた。その後3年間はマイナーとメジャーを行ったり来たりしたものの、75年にローテーションに定着。身長約203センチと大柄のリチャード氏は剛速球を武器に翌年には20勝を記録し、“打者を震え上がらせる投手”として広く知られるようになった。

その剛腕ぶりは、メジャー屈指の強打者である選手たちでさえ、リチャード氏の登板日は出場を回避したいとチームに訴えたという逸話が残るほど。リチャード氏と親しかった同球団監督のダスティ・ベーカー氏によると、その剛速球は味方も震え上がらせ、「J・R病みたいなものがあってね。J・Rが怖いという不治の病だ。『誰が彼の球を受けるか』を巡ってミーティングをしたよ。J・Rが投げる日は休みを取るやつが多かった」と振り返った。

リチャード氏は10年のキャリアで107勝71敗を記録。76試合で完投し、通算防御率は3・15だった。1979年に1シーズン313奪三振を記録したが、これは2019年にゲリット・コール投手(現ヤンキース)に破られるまで球団歴代最多記録だった。1980年7月に脳卒中に見舞われて緊急手術を受けると、その後復帰を試みるもうまくいかず、84年に退団した。