逆襲の扉をルーキーがこじ開けた。阪神のドラフト3位新人、江越大賀外野手(22)が、プロ初本塁打を聖地でぶちかました。2回1死一、三塁。プロ6試合目、18打席目に1号3ランを左翼席へ運び去った。これが決勝弾となって、チームは4月初連勝。さあ、ゴールデンウイークで一気に借金返済し、貯金週間にするで~。

 夢のようなダイヤモンド1周だった。プロ初本塁打なのに、江越は無表情だった。二塁を回ると何かを叫んだ。ベンチ前のハイタッチを終えると笑顔になった。その全てを試合後「覚えてないんです」と笑った。

 終わってみればこの日唯一のチャンスが、目の前に広がっていた。2回1死一、三塁。ヤクルト成瀬の初球スライダーを空振り。だが、気後れなどしない。腹をくくった。「強引にいったらゲッツーになる。練習通りにポイントを前にして思い切っていこう!」。続けざまに来た124キロスライダーは夢中で振るだけだった。左中間スタンドに飛び込んだ3ランが、一瞬で夢の世界に自らを引き込んだ。生まれ故郷の長崎・南島原市では、保育園時代を男子4人、女子1人の学年5人で過ごした。のどかな環境で育った22歳。高校時代に甲子園出場はない。人生初体験をすぐに受け入れることができなかった。

 「(歓声が)すごかったです。鳥肌が立ちました」

 自身の甲子園デビューだった7日はプロ初安打を放ちながら、失策を犯して敗戦につながった。26日には送りバント失敗を含む4打数無安打。ここまでは悔しい思いばかりが先行していたが、3回の守備でセンターに向かうと4万289人の「江越コール」が待っていた。初めてわれに返った。

 1度は打率9分1厘で、2軍落ちも経験したが、はい上がってきた。降格直後には掛布DCから「サードコーチャーに向かって強いファウルを打て」と助言された。結果を求めるがあまり、当てにいく打撃に終始していた。江越は長崎・海星、駒大で4番を担ってきたにもかかわらず、いつも「打撃が一番の課題」と語ってきた。歴代の指導者も江越との思い出を「打てないこと」と口をそろえる。高い身体能力をフルに生かし切れていない。それでも4番を任されていたのには理由があった。「1発で流れを変えることのできる打球を飛ばせるから」。最大の武器が、この日見せたようなパンチ力だった。

 体の力を最大限バットに伝えることを忘れていた。試合前に打撃指導を受けた和田監督からも「本来の持ち味である思い切りのいいスイングをやってくれ」と期待を受けた。今、求められていたのはチームへ勢いを与える一振りだった。

 「結果を残せなかったらまた下(2軍)で自信をつけたらいいと思っていた。結果を恐れずにまた明日から頑張りたい」

 18打席目での初アーチは24打席目で記録した掛布DCの“記録”も上回る記念弾になった。そんな勲章にも江越は江越らしく次戦を見据えた。チームは4月初連勝。豪快さを取り戻した男が、反攻へのキーマンとなる。【松本航】

 ◆江越大賀(えごし・たいが)1993年(平5)3月12日、長崎県南島原市生まれ。長崎・海星では投手兼外野手で甲子園出場はなし。高校通算26本塁打。駒大では1年春から東都リーグに出場し、大学通算11本塁打。名前は「大は土台のしっかりした人間に。賀はみんなに祝ってもらえるように」と命名された。182センチ、83キロ。右投げ右打ち。

 ▼江越がプロ18打席目にして1号本塁打。ドラフト入団の新人選手では、69年田淵幸一が4打席目に打った例があるが、74年掛布雅之24打席目、80年岡田彰布32打席目を上回った。なお甲子園でプロ初本塁打を放った阪神選手は、14年6月7日オリックス戦での緒方凌介以来(プロ2年目)。新人に限ると、鳥谷敬が04年5月27日横浜戦で記録して以来。