阪神が80周年メモリアルイヤーで、球団創設5000勝を達成した。数え切れないほどの虎戦士とタイガースファンが勝利に喜びの声をあげ、敗戦に涙してきた。激闘の歴史を凝縮するかのように、節目白星は延長11回のサヨナラ勝利。歴史の1歩を刻んだ日は、阪神黎明(れいめい)期を支え、92年に75歳で亡くなった初代「ミスタータイガース」、藤村富美男氏の命日だった。

 総力戦を制した。最後は福留孝介外野手(38)が見逃した微妙なコースがボールと判定され、サヨナラ勝ち。和田豊監督(52)は手をたたき、ベンチを出た。バックスクリーンに映し出された球団通算5000勝を祝う文字をしみじみと見つめた。「5・28」-。くしくも初代ミスター・タイガース藤村富美男氏の命日に節目の勝利をつかんだ。

 「何かの縁だと思うし、やはり、藤村さんの後押しがあっての最後のサヨナラ勝ちだったと思う」

 80年前、1935年に創設されて以来、先人たちが積み上げてきた白星の途上に今、立っている。その指揮官もタテジマに導かれるように人生を歩んできた。じつは何度も猛虎とすれ違いそうになっていた。中学校に上がる時、野球とサッカーのどちらを続けるか迷った。だが、和田少年は父・好正さんが阪神ファンだということを知っていた。

 「サッカーをやろうかと思った。でも、おやじが野球をやってほしそうだった。直接、言わないけど、そういう空気を出していたんだよ(笑い)」

 千葉生まれの父は常勝巨人にぶつかっていくタイガースが好きだった。藤村、別当らの反骨が和田家と猛虎を結びつけた。その熱い想いが息子に伝わった。プロ入りの時もそうだった。阪神から指名を受けた時、在京志向のあった和田青年は迷っていた。そこでも、父が背中を押したという。

 「タイガースだったら、いけ」

 猛虎と見えない糸で結ばれているような野球人生はそこからタテジマ一筋30年。「ユニホーム組は先輩方に恥じないようなプレーをこれからもやっていきたい」。ここからも1勝、1勝が新たな歴史になる。先人を敬い、伝統を背負いながら、今を戦う。【鈴木忠平】

<阪神5000勝アラカルト>

 ◆初戦で初勝利 球団史上初の公式戦、1936年(昭11)4月29日の「第1回日本職業野球リーグ戦」金鯱戦(甲子園)を3-0で記念すべき1勝目。

 ◆シーズン最多勝 87勝。03、05年で、いずれもリーグ優勝した。一方、2リーグ分立後の最少は41勝で、78、87年。両年とも最下位。

 ◆最多勝監督 62、64年と2リーグ分立後で唯一2度の優勝に導いた藤本定義氏の514勝が監督勝利数最多。85年日本一の吉田義男氏484勝が続く。現在の和田監督227勝は10位。

 ◆最多勝利投手 1リーグ時代に在籍した、若林忠志の233勝が現在も最多。現役最多は福原で80勝。

 ◆勝利投手数 球団初戦で完封した藤村富美男から、今季5月15日中日戦で来日初勝利のサンティアゴまで、212人。