まさか…じゃない「神ってる」優勝じゃ~。広島が優勝マジック1として迎えた巨人戦で勝利した。1991年(平3)以来、25年ぶり7度目のリーグ優勝を決めた。前回優勝時は高卒5年目の若手外野手で、以来、赤ヘルをかぶり続け監督就任2年目の緒方孝市(47)が7度、宙に舞った。続いて男泣きした黒田博樹投手(41)、新井貴浩内野手(39)の両ベテランも胴上げされる。優勝を待ちわびた広島の街だけでなく、全国のカープファンに喜びが広がった。

 25年分の思いがつまった優しい目だった。緒方監督が舞った。7度も舞った。「最高に気持ちよかったよ」。涙をこらえられたのは黒田の、新井のおえつが聞こえたから。信じて、期待して、ともに戦った「息子たち」が泣いていた。お立ち台では「広島の、全国のファンのみなさん。お待たせしました! おめでとうございます!」と叫んだ。だが緒方監督もまた25年間待ち続けた1人だった。

 25年前の91年は代走、守備固め要員。優勝の瞬間は右翼にいた。その後「たたき上げの広島式育成法」でレギュラーに。ただ30発を打っても50盗塁をしても優勝は出来なかった。09年に引退後、コーチとしてユニホームを着た。そして14年11月。「戦う集団を作る。何が何でも優勝する」と宣言し、監督室に入った。

 「無力なんだと感じた1年だった」。赤鬼と呼ばれた男は言った。真っすぐだが器用ではなく、超が付くほどの頑固者。厳しさは誤解を生み、闘志は空回り。最終戦で敗れCSすら逃した。自分勝手と分かっていても、マイクの前に立てなかった。球場で応援していた家族は罵声に耐えかね、来られなくなった。CS敗退翌日のオーナー報告。誰にも悟られぬよう、しかし懐には進退伺を忍ばせていた。力みに力んだ、優勝から25年目だった。

 変わりに変わった優勝から26年目。結果が出なければ辞めると決めていた。胸にはいずれも故人となった3人の恩師、鳥栖時代の平野国隆監督、村上孝雄スカウト、三村敏之監督、そして教えを請う武道家の宇城憲治氏の言葉があった。

 「導く指導でなければならない-」

 前時代的な根性論を捨て、目線を下げた。主力選手を食事に誘い、目指す野球を共有。一方で、平等な起用も続けた。試合後の監督室への呼び出しはやめ、開放感のあるグラウンドで、翌日に声を掛けた。「孤高の存在にはなりたくない」。出入りしやすいように監督室の扉は開けっ放しだ。昨季はそれでもほとんどなかったが今季は各コーチが頻繁に出入り。監督の変化に周囲も変わっていった。

 変わらなかったこともある。前日がどんなロングゲームでも朝5時に起床。ナイターでも午前8時に家を出た。移動は始発にこだわった。「朝起きて歯を磨くのと同じ」と照れるが、対戦チームの全選手の特徴を、頭にたたき込んだ。試合中は「心の置き場を見つけた」。サインの伝達も任せた。躍動する選手に目を細める。「去年の俺にはばかだと言ってやる」。マジックを初めて減らした巨人戦では目に涙をためていた。

 睡眠時間が極端に短い生活で体はボロボロだった。だが6月、指揮官を、家族をいやしてくれる存在に出会った。「家族が、増えたんだ」。フレンチブルドッグの赤ちゃんを家族に迎え入れた。成長するに連れ、真っ黒の体の胸に「Cマーク」が浮かんできた。男の子の名前は「ユウショウくん」。表情が柔和になると願いもかなう。そして、2016年9月10日。景色は想像とは違った。戦う集団に持ち上げられた先。真っ赤なスタンドが、にじんで見えた。【池本泰尚】