11月のある日、中尾孝義の携帯電話が鳴った。画面を見ると「原口」と表示され、電話越しから声が聞こえてきた。「お世話になりました。ありがとうございました」。阪神で10年務めていたスカウトを辞し、今季限りでの退団が決まっていた。6年前のドラフトで獲得を推薦した選手だ。毎年、契約更改すると必ず電話を受けた。この日もまた折り目正しく、筋を通す24歳の律義さに目を細めた。

 人生が、こうも劇的に変わるのか。中尾は、そんな思いを抱く。原口文仁は今季、プロ7年目で育成から支配下選手に復帰すると打率2割9分9厘、11本塁打。戦力外もちらつく男が誰も予想しない好結果を残した。中尾は「いいところで打っている印象がある。活躍してくれるのが一番うれしい」と目じりを下げる。その一方で心配していることがある。慢性的な右肩痛の再発だ。電話越しに「インナーマッスルをしっかり鍛えるんだぞ」と助言し、こんなことも伝えていた。

 「投げるとき、すぐに肘が上がってしまうと余計に肩を痛める。肘を回すように、肘から先を使えるようにしないと。球を耳の横に持っていけというけど、そうじゃない。球が耳の下にあれば、肘を回せるんだ」

 中尾は現役時代、中日や巨人の正捕手で活躍。盗塁阻止率4割以上は3シーズンあり、強肩も光った。だからこそ原口の弱点である送球が目につく。春先に「よくやっている」と手放しで褒めていた姿はない。盗塁阻止率も2割3分3厘。「技術を上げていかないと捕手としてしんどい」。スカウトとして最後の“親心”だ。目線を上げた厳しい指摘は、正捕手までの道のりを思えばこそだろう。

 12月、原口は寒空のもと誰もいない鳴尾浜で、リリースを確認しながら送球練習を繰り返す。「僕、どうでしたか?」。記者にも意見を求めるなど、真剣だった。来季は一塁起用案もあるが、捕手にこだわる。「オフは肩を重点的にやってきた」。すでに70メートルの遠投をできるまでに回復した。

 「目標にしているところくらいまで来た。これからは短い距離で練習して、肩の強さや、実戦で投げられるようにしたい」

 中尾にとって、スカウトとして初めて担当した捕手が原口だ。かつての捕手らしく「捕手は淡泊だと無理なんだ。我慢強い性格をしていないと」と推した理由を明かす。そのキャリアの最後に大活躍。中尾が歩んできた道を照らす、こんなすてきなプレゼントはないだろう。これからは都内の自宅で見守る。(敬称略)

 ◆酒井俊作(さかい・しゅんさく)1979年(昭54)、鹿児島県生まれ。京都市で育ち、早大卒業後の03年入社。阪神担当や広島担当を経験。今年11月から遊軍。趣味は温泉めぐり。