不可能と限界はない。3月の早生まれで体が小さかった。中学1年時は身長150センチ、体重60キロ。非力で「カンチャンの慎ちゃん」が愛称。「とにかく食べた」と特大おにぎり8個を携えた記憶は消えない。食べ切れず、2個は練習後に頬張った。3年後、身長は22センチ伸び、体重は15キロ増。体の成長とともに輪の中心へと進んでいった。

 体は成長しても野球センスに乏しかった。「中学までは『センスがない』と言われた。だから自負している。センスは努力でカバーできる。だから今、俺がここにいる」。掛布を目指し、バースに憧れた。布団に入ってからも鍛錬だ。寝転びながらボールの縫い目に指がかかるように真上に400球投げてから就寝した。プロ入り後の練習量は言うまでもない。反骨心が努力の原点にある。

 代名詞だった捕手との別れが大台へのスパートの合図になった。15年6月6日ソフトバンク戦を最後に扇の要を離れた。バット1本での戦いを挑んでいる。捕手時代の「守備の負担」は通用しない。でも、やっぱり捕手が“永遠の恋人”だ。5月中旬にメーカーからキャッチャーミットが届いた。「今すぐに使おうとは思ってないよ。いつになるか分からないけど引退試合かな」。誰にも邪魔されない、心の奥底に、そっとしまっている。その日まで-。最強の笑顔のままでいる。【為田聡史】

 ◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園-中大を経て00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手でチーム23年ぶりに開幕先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。今季年俸は2億6000万円(推定)。父東司さんは習志野-中大-電電東京(現NTT東日本)で捕手としてプレー。習志野では阪神掛布雅之2軍監督の同級生で、2人がクリーンアップを組んで甲子園出場。