阪神横田慎太郎外野手(22)が3日、「脳腫瘍」を患っていたことを明らかにした。2月の春季キャンプ中に頭痛を訴えチームを離れていたが、入院と加療を行い、順調に回復したため、2日に兵庫・西宮市の球団寮に戻った。症状が消えて安定した状態となる「寛解」と診断されており、復帰への思いを語った。今後は来春キャンプをメドに完全復活を目指す。

 横田が虎風荘に戻ってきた。春季キャンプ真っただ中の2月中旬に頭痛を訴えてチームを離れていたが、「脳腫瘍」と診断されていたことを公表した。

 横田 このたびは「脳腫瘍」という病気を患い、みなさまに大変ご心配とご迷惑をおかけいたしました。

 入院と加療を行い、順調に回復。8月30日には最終検査を行い、ドクターから「大丈夫ですよ」と復帰へのGOサインが出たという。症状が消えて安定した状態となる「寛解」と診断されている。

 横田 病院の先生方、看護師の方々、球団・チームの方々、そして手紙や本、千羽鶴を贈ってくださったファンの皆様の支え、励ましがあったからこそ、ここまで頑張れました。感謝の言葉しかありません。

 約半年間の闘病生活を耐えてきた。本人の「寮に戻って、プロの施設のほうがいい」という強い希望により、前日2日に帰寮。クラブハウスでは、チームメートに自ら、復帰のあいさつも済ました。順次トレーニングを再開予定で、当面の目標は来春キャンプでの合流となる。病院でリハビリも行い、体重も戻っている状態だが、今後も確認のため定期検査に訪れる方向。金本監督も「まずはひと安心というのが、正直なところです。ここからは時間がかかるだろうけど、復帰に向けて、横田も地道にがんばってくれると思います」と胸をなで下ろした。

 13年ドラフト2位で虎に入団し、昨年はチームスローガン「超変革」のシンボル的存在となり、3月25日の中日との開幕戦でも2番センターで先発メンバーに名を連ねた。ただ、同年は1軍38試合出場にとどまり、今季にかける思いは並々ならぬものがあった。そして闘病を経て、思いを寄せるのは、やはり甲子園だ。

 横田 これからの野球人生が、同じ病気を持つ人達に「夢」、「感動」を与えられるようなものにできるよう、頑張っていきたいと思います。少しずつ力を付け、必ず復活して、甲子園で走り回る姿を見せたい。

 復活の日へ。横田が再び駆けだした。【真柴健】

 ◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日、東京都生まれ。父真之さんはロッテなどに在籍した元外野手。鹿児島実では通算29本塁打。13年ドラフト2位で阪神入団。垂直跳びは球界でも屈指の80センチを記録するなど、身体能力が注目される。16年38試合に出場し、20安打、0本塁打、4打点、4盗塁、打率1割9分。今季は1、2軍とも公式戦出場はなし。今季の球団発表は187センチ、89キロ。左投げ左打ち。

 ◆寛解 一般的に病状が落ち着いており、臨床的に問題がない程度にまで治ったことを意味する。このまま完全に治る可能性もあるが、場合によって再発の可能性もあり治癒、完治の段階とは違う。

<脳腫瘍から復活した主なプロ野球選手>

 ◆ジャイアント馬場(馬場正平=巨人)プロ野球選手だった57年、脳腫瘍の手術を受ける。日常生活すら危ぶまれたが、選手として復帰。引退後はプロレスに転じ、国民的なスターとなった。99年に肝不全のため61歳で死去。

 ◆盛田幸妃(近鉄)98年に「左頭頂部髄膜腫(しゅ)」と判明。同年9月に手術を受けた。翌年99年には、早くも1軍戦登板。01年には救援投手として34試合に登板し、近鉄最後の優勝の立役者に。同年カムバック賞を受賞した。15年に転移性悪性腺腫のため45歳で死去。

 ◆山崎福也(オリックス)中学3年時に「小児延髄上衣腫(じょういしゅ)」と診断され、全摘出手術を行った。生存率10%、余命7~8年という状況から生還。明大から14年ドラフト1位で指名され、今季も14試合に登板している。