楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。02年から監督を務めた阪神の関係者が追悼のコメントを寄せた。

 ◆阪神坂井信也オーナー 突然の訃報に驚愕(きょうがく)しています。星野さんには、タイガースに新しい風を吹き込み、常勝チームの礎を築いていただいたことに大変、感謝しています。まだまだこれから野球界の発展のためにご尽力いただきたかったのに、ただただ残念でなりません。

 ◆阪神揚塩健治球団社長 先日、お会いした時に「タイガースの優勝をファンが待ち望んでいますよ。がんばってください」と激励の言葉をいただいたばかりでした。闘将と評されることが多いですが、誰にでも気遣いをされる優しいお心の方だったと思います。寂しい気持ちでいっぱいです。

 ◆元阪神監督の吉田義男氏 星野氏は阪神タイガースの歴史を塗り替えた1人です。OB以外で外部招聘(しょうへい)となった星野氏は、自ら親会社に戦力補強の必要性を訴えて金庫の扉をこじ開けました。その改革が惜しみない投資となって、チームは強くなっていった。これから球界を背負っていくべき人材だっただけに残念です。

 ◆阪神矢野燿大2軍監督 中日入団時代に星野監督のもとでやらせてもらい、プロでの大切さなど、たくさんのことを勉強させていただき、どこに行ってもやっていけるという気持ちになりました。ユニホームを着た時の星野さんは本当に厳しくて、一番怖い監督でしたが、私たちのことをいつも気にしてくれる一番優しい監督でもありました。

 ◆阪神片岡ヘッド兼打撃コーチ (日本ハムからFA宣言した01年オフに)星野さんが監督だったからぼくがタイガースに来たのは間違いないです。野球の厳しさをもう1度教えていただいた。(まさに闘将と聞かれ)そのとおり。白か黒か、いいか悪いか、はっきりされていた。

 ◆赤星憲広氏 最後、殿堂入りパーティーで会った時も「体は大丈夫かー」とボクの方の体調を気にかけるような方。弱い部分を絶対に見せない、男・星野を最後まで貫いたんだなあと思いました。一番の思い出は、03年、優勝マジックを1とした広島戦のサヨナラ打のとき。ネクストで星野監督に呼び止められて、「周りを見ろ。こんなにたくさんのお客さんの前で幸せだろ。あと、外野を見てみい。あんなに前に出てきてナメられとるよ。お前で決めてこい」。子どもの頃から中日ファンで星野さんと立浪さんのファン。一緒に野球をやらせていただいて幸せでした。

 ◆桧山進次郎氏(日刊スポーツ評論家) 昨年12月の殿堂入りを祝う会でお会いした時、もう1度監督をされるんじゃないかというぐらいお元気でした。星野さんが(阪神に)来られた1年目のオフにFA権を行使するかで悩んでいた時「生え抜きがチームを背負っていかなあかん、残れ!」と言ってくださって残留を決めたことなど、感謝しかありません。