楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。08年には日本代表監督として北京五輪に臨んだ。侍ジャパン関係者が追悼のコメントを寄せた。

 ◆侍ジャパン稲葉監督 突然の訃報にただただ驚いております。星野さんが日本代表監督として臨まれた北京五輪に外野手として選出いただいて、共に戦い、そして悔しい思いをしたことがまるで昨日のように思い出されます。試合では常に強気の、まさに「闘将」でしたが、ミスをした選手には挽回のチャンスを与えるなど、人情味にもあふれた監督でした。

 ◆上原 (08年北京五輪は)自分が不調だったのにもかかわらず、メンバーに選んでいただいて、本当にうれしかったですね。直接、自分の携帯に連絡をくれ、「どんなに不調でも、お前を選ぶから」って言ってくれたことは忘れられないね。ルーキー時代に、星野さんからサインをもらったこと、少ない時間しか接していないけど、いろいろと思い出があるよね(ブログから)

 ◆広島新井 五輪という舞台で4番を打てたことは野球人生の財産。厳しい中にある、優しい笑顔が忘れられません。

 ◆巨人阿部 北京五輪の予選で試合が始まった瞬間からスイッチの入り方がすごかった。勝負への執念、姿勢など見習いました。悲しい。人の命ってあっけない。何が起こるか分からない。

 ◆元ロッテ大村三郎氏(サブロー) 同じ岡山出身だったけど、北京五輪予選で同じチームになるまで接点がなかった。でも一緒にやると、試合に対する気合の入り方がすごかった。円陣ですごい大声を出して、ピリッとなった。試合だけど“戦い”に行ってる気持ちにさせてくれ、戦闘力を引き出すのが本当に上手だった。自分も年がいもなく「この人にほめられたい」と思ってプレーした。台湾戦の同点スクイズは、まさかとは思ったけど、なかなかほめてくれない星野さんがほめてくれた。もう2度と出てこない人だと思う。

 ◆ヤクルト宮本ヘッドコーチ 野球人として、そして何よりも指導者として尊敬している方なのでショックです。今の時代には必要な方だと思いますので惜しくてなりません。オリンピックを一緒に戦わせてもらいましたので、監督の野球に対する思いを微力ながら伝えていきたいと思います。

 ◆元ロッテ里崎智也氏(日刊スポーツ評論家) 北京五輪では闘将・星野という肩書の通り、試合では誰よりも勝ちたい気持ちを出していた。でもユニホームを脱げば、お父さんのように温かく気を使ってくれる。星野さんが思い描いた未来を、僕ら後輩が志を受け継いで、魅力あるプロ野球界に発展させていきたい。