あふれる「カープ愛」で壁を突き破った。広島が緒方孝市監督(49)に率いられ、球団初の3連覇となる9度目のセ・リーグ制覇を果たした。

チーム91年以来の地元胴上げで9度、宙を舞った。今季は投手陣の整備に苦しみながらライバルを圧倒。黄金時代に突入した。

広島を愛する男が、ついに偉業を達成した。開幕前から「3連覇」とノルマのように言い続け、135試合目で成就。緒方監督の目に涙はない。本拠地のど真ん中で力強く9度舞った。

「ファンの皆さん、3連覇、リーグ優勝おめでとうございます! ファンの方と一緒に胴上げされているようで、夢のような時間でした。広島に新しい歴史を作ってくれた選手たちに、よく頑張ったと、それしかない」。優勝インタビューで絶叫した。頑固者。周囲とうまく交わらないこともある。それでも監督業は成績がすべて。球団初の功績は何より貴い。後世に継がれる監督となった。

「苦しいことの連続」と振り返った。特に投手陣。開幕直後に野村、薮田が不振で先発ローテから消えた。交流戦は7勝11敗の10位と低迷。それでも打線の奮起、救援陣のやりくりで乗り切った。全日程を未消化も、防御率4点台の優勝なら球団史上初。フランスア、野間、アドゥワら新戦力が台頭した1年は、座右の銘である「出会いに感謝」のシーズンだった。

起用に情は入れない。象徴が強力打線の代名詞タナキクマルの解体。「ラミちゃんみたいに2番メヒアも面白い」と真顔で言った。固定観念は捨てている。一方で目配りは怠らなかった。8月上旬、長い2軍暮らしを代理人に「寂しい」と漏らしたエルドレッドには手を挙げて面談。「頑張れよと言った。大事な戦力だから」。就任して学んだ。時代が違う、ということ。

「難しいよね。俺らは体が満足じゃなくても絶対にプレーしていた。今はそれが許されない」。例えば投手の連投を酷使と言われ、戸惑いながらも「選手ファースト」を受け入れて今に至る。フランスアが8月に18試合登板の日本タイ記録。更新の可能性もあったが「ウチが4連投させたことがあるか?」と目をつり上げた。選手とは一線を引くが、理解度は深まった。

現役だった99年オフ、FA移籍と悩んで残留を選択。育ててくれた広島の町、球団への恩義があり、使命感にあふれる。今年は7月に豪雨災害が発生。関係者を通じて被災地に飲料水を届けた。佐賀出身だが第2の故郷が傷つく姿を見過ごせなかった。そして最重要課題の勝利とともに掲げるのが「魅力あるカープの野球を見せること」。スピード感があり、最後まであきらめない姿を提供したい。「それがすべて」とも言い切る。だからこそ、カープを信じて本拠地を埋めるファンに心から感謝する。この環境を作ったのは「選手の力」と認めている。

「神様だから。4年間ずっと持ち歩いている」と故松下幸之助氏の金言集がバイブル。その一節には「誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで働く。経営者自身が身をもって示すことが第一」とある。ナイターでもいち早く球場入りし、映像を見る生活は就任4年目も同じだ。体は疲弊。8月には試合前の練習に2日間出られなかった。原因は高熱。だが周囲に隠した。側近のコーチ陣に対してさえも。松下氏が説いた率先垂範の精神が息づいている。

昨秋、交響楽団のコンサートに行く機会があった。つかの間の安らぎは家族と愛犬。そこに「はまった」というクラシック音楽が加わった。春季キャンプの散歩中は戦力構想を練りながら、イヤホンから流れるパッヘルベルの「カノン」に癒やされた。現代に応用される同曲のコード進行は「黄金コード」とも呼ばれる。V3はまさに黄金期だ。「リーグ優勝はゴールじゃない。日本一というゴールにチーム一丸で向かいたい」。

さあ、秋に待つのは短期決戦。過去2年は苦杯をなめた。カープの野球ができれば、必ず勝てると信じている。【大池和幸】

◆緒方孝市(おがた・こういち)1968年(昭43)12月25日、佐賀県生まれ。鳥栖高から86年ドラフト3位で広島入団。95年に現在もセ・リーグ記録の10試合連続盗塁をマーク。96年オフに元タレントの中條かな子と結婚。95~97盗塁王。95~99年外野手でゴールデングラブ賞。08年に選手兼コーチとなり09年現役引退。引退後はコーチを務め、15年監督就任。現役時代は1808試合、打率2割8分2厘、1506安打、241本塁打、725打点、268盗塁。181センチ、80キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸8000万円。家族は夫人と1男2女。