中継ぎの救世主となった広島フランスアの家族も、母国ドミニカ共和国で優勝の喜びに浸った。フランスアは首都サントドミンゴの東約130キロに位置する田舎町、ベネリト出身の初のプロ野球選手。母ロレーナさん(50)は「息子のことは町の全員が知っている。町の誇り」と、男4人兄弟の三男の活躍に目を細めた。

300ペソ(約600円)の中古グローブを買ってもらい、毎朝6時のバスに乗って隣町まで練習に通っていた小学生の頃は、母国の英雄、ペドロ・マルティネスに憧れていた。16歳でアストロズのアカデミーと契約。だがその直後、さとうきび農園で働いていた父が42歳で病気により他界。結果が残せず、米国に渡ることはできなかったが、一家の大黒柱として決して多くない給料を毎月家に送り続けてきた。

14年にカープアカデミーと契約した時には1階建てだった自宅を2階建てに改装。ロレーナさんは「ヘロニモは毎月の生活費も出してくれているし、毎日電話するのが楽しみ。今度は車を買ってくれるのよ」と、声を弾ませた。