今季限りの現役引退が判明している中日岩瀬仁紀投手(43)が、前人未到の金字塔を打ち立てた。阪神22回戦(ナゴヤドーム)に7番手で登板。通算1000試合登板を達成した。1点リードの9回にマウンドへ。勝利をたぐり寄せる今季3セーブ目で通算407セーブ目を挙げた。プロ20年目、数々の記録を樹立してきた救援左腕が、また1つ勲章を手に入れた。

プロ入り20年目、1000の修羅場を経験している岩瀬の目に涙が浮かんだ。「長い道のりでした」。通算1000試合登板。今季初のお立ち台で、声を詰まらせた。

節目のマウンドは長年の仕事場だった。4-3で、リードはわずかに1点。最終9回を託された。「鳥肌が立ちそうだった。まさかこんな場面で使ってくれるなんて。ましてや1点差の場面だった」。表情はいつも通りだが、足は震えた。「今まで記憶にない」という重圧が襲い、先頭糸原に死球を与えた。続く大山を中飛に打ち取り、対戦したのは中日入団の同期福留。初球123キロのスライダーで空振り。2球目131キロのシュートで詰まらせ、一ゴロに仕留めた。「(福留)孝介とは同期でやってきて、対戦するようになって特別な空間、互い意識しながらやってきた」。糸井を遊ゴロに抑え、今季3セーブ目、プロ入り通算407セーブ目。背番号と同じ「13」球で大記録に花を添えた。

今季限りでユニホームを脱ぐ。次回登板すると1001試合。最初の監督、故星野仙一氏の名前とかぶる。残り試合は3試合。「まだ試合はある。最後まで頑張りたい」。球史に恩師の名前を刻む瞬間もやってくるだろうか。【伊東大介】

▼岩瀬がプロ野球初の1000試合登板を達成した。初登板は99年4月2日の広島1回戦(ナゴヤドーム)で、代打や代走、偵察要員での出場がない岩瀬は同時にプロ野球496人目の1000試合出場も達成した。1000試合登板は史上初だが、過去に投手登録のシーズンに1000試合出場達成は野口二郎と金田正一がいる。二刀流で活躍した野口は阪急時代の51年9月1日近鉄戦、しばしば代打で起用された金田は巨人時代の68年7月9日広島戦で達成。51年野口は4勝、68年金田は11勝しており、2人とも1000試合出場は代打で記録した。

◆岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日、愛知県生まれ。西尾東-愛知大-NTT東海を経て98年ドラフト2位で中日入団。1年目から中継ぎで65試合、10勝と優勝に貢献。最優秀中継ぎ投手賞3度。04年から抑えに転向し、最多セーブ5度。05年の46セーブはセ・リーグ最多記録。14年7月に史上初の通算400セーブを達成。99~13年まで15年連続で50試合以上登板。今季は投手コーチ兼任。181センチ、84キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸7500万円。