初春から「別れ」となった。ソフトバンクから自由契約となっていた摂津が8日、ヤフオクドームで「引退会見」を行った。プロ生活10年。26歳のオールドルーキーは1年目から活躍した。中継ぎで新人から2年連続70試合を投げ、先発に転向すれば5年連続2ケタ勝利。新人王に最優秀中継ぎ賞、最多勝に沢村賞も手にした。

順風満帆のプロ生活は後年の3年で逆風が吹いた。3年間でわずか4勝…。「10年も続けられるとは思わなかった」と言った後で「うまくいきすぎていたと思う」とも言った。一昨年、福岡・筑後市のファーム施設で真っ黒に日焼けした背番号「50」は、なかなか1軍にお呼びがかからない現状をこう表現した。「僕ら投手はマグロと一緒ですよ。泳ぎ続けなければ死んでしまうんです」。ヤフオクドームのマウンドを渇望していたのだろう。釣り好きの摂津らしい例えだったが、笑い返すにはしのびなかった。腰痛を抱えていたとはいえ「エース」と呼ばれた男がなかなか主戦場に戻れないもどかしさは、肉体よりも精神との戦いではなかったか。

摂津が入団してこの10年、ホークスは文字通り「常勝チーム」となった。5度のリーグVに5度の日本一。チーム力が上昇カーブを描く中、その屋台骨をまぎれもなく支えてきたのは寡黙な右腕だった。外角へ糸を引くような直球を投げ込み、ブレーキのかかったカーブで打者のタイミングを外す。勝負球のシンカーの組み立ては単純にして絶品だった。摂津はボールを握らない。直球もカーブも生卵を持つように「つまむ」と言ったほうが正しい。落差あるカーブと精密な制球力は親指、人さし指、中指の先の繊細な感覚で磨いてきた。「才能があるわけではないので、コントロールは誰にも負けないつもりでやってきた」。

冬厳しい秋田の生まれ。東北人らしい「忍耐強さ」で、10年間のプロ生活を走り切った。【佐竹英治】