昨年8月に亡くなった岡田悦哉氏(享年87)をしのぶ会が16日、都内ホテルで行われた。同氏は明大出身。プロ野球経験はないが、社会人野球をへて、広島、西武、中日で2軍監督やスカウト、編成部長などを歴任した。阪神でも編成部の非常勤顧問を務めた。

あいさつには明大野球部OB会の会長である土井淳氏(85)が立ち、岡山の先輩でもある故人との思い出を披露した。明大入学直後、同じ岡山出身で同学年の秋山登氏とばかり、岡山弁で話していたという。「東京に出てきて、右も左も分からないものですから。秋山と2人でしゃべるしかなかったんです。そしたら、周りには、岡山弁で話すとけんかしていると思われたんですね。岡田先輩がやってきて『岡山弁で話すな』と言われました」と懐かしそうに明かした。

岡田氏は「優しくて、兄貴のような存在」だったという。ある日、「お前、本当の中華料理、食ったことないだろう」と銀座の高級店に連れて行ってくれた。だが、注文してくれるのは、中華まんばかり。「おかげで、私は中華料理といったら、中華まんしか知りませんでした。でも、小遣いもほとんどなかったでしょうにね」と心遣いに感謝していた。

卒業後は大洋でプレーした土井氏だが、岡田氏は広島で指導者になっていた。広島遠征の際、食事をごちそうになった。「決まって、翌日は大洋が負けてました。毒でも盛られたのでしょうか」と笑いを誘った。

会には、プロ、アマ両球界から約180人が出席。故人の広い人脈がうかがえた。プロ球界からは、中日森繁和シニアディレクター、西武渡辺久信GM、斎藤隆氏、和田一浩氏らの姿もあった。

渡辺GMが西武に入団した時、岡田氏は2軍監督を務めていた。岡田氏の西武時代のユニホームを前に、渡辺GMは「えっちゃん、ね。優しい、情の人だったなあ。でも、よく怒られたよ。俺は悪いことばかり、してたから」と思い出していた。