ソフトバンクを支える人々にスポットを当て、随時掲載する「支えタカとよ」。第11回は元ソフトバンク投手で現在、球団の営業マンとして活躍している「事業統括本部営業本部 第2営業部2課」の高橋徹さん(31)です。

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引退して7年が過ぎた。高橋さんからは元プロ野球選手だったという感じはない。「野球をやっていたことすら忘れていますね」。とがった雰囲気の現役時代とはまったく違う。横浜創学館時代は横浜涌井(現ロッテ)とともに騒がれた速球派右腕だった。04年ドラフト3巡目で当時のダイエーに指名され、翌05年から誕生するソフトバンクの将来のエース候補として期待された。

6年目にようやく1軍で2試合登板も、翌年終了後に戦力外通告を受けた。あきらめきれず、12年2月米国アリゾナの教育リーグに参加した。「右肩が痛くて思うようにいかなくて。でも、純粋に米国での野球は楽しかったですね。そこに行ったから野球に区切りをつけることができた」。

球団に紹介してもらいソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)に入社。夫人が岐阜出身だったこともあり、名古屋で第2の人生をスタートした。家電量販店で来店客に携帯電話を販売する仕事だった。社会人としてのマナーなど1カ月研修したとはいえ、いきなり先輩もいない現場に放り出された。家族を養うために必死だった。「1発目の契約はドームのマウンドに上がる以上に緊張しました」。世間の厳しさにもまれ、4年目となった15年夏、ソフトバンクグループ内でホークス球団が社員を募集した。「名古屋の部長が僕が野球やっていたことを知っていて、すぐ知らせてくれた」。面接などを受け15年12月から球団職員となった。

最初は年間指定席などを売る仕事だった。まったく取引がなかった不動産業の事務所に飛び込んで年間指定席2席100万円を取ってきたこともある。下積みの経験を生かし、持ち前の度胸で成績を残した。現在は鉄道やガス、電気など九州地場の大手企業を担当する。「(年間の)スポンサー契約が4000~5000万円は当たり前。1億円もある」。昭和建設や関家具などはユニホームや2軍のシートなどにも協賛してもらっている。

「今の方がやりがいはありますね。野球をやっている時よりは会社に貢献できている。恩返しはできているかな」と笑う。同期入団で現役を続けるのは江川だけとなった。「自分とかぶっていない選手が活躍しても個人的な感情は生まれない。営業としては優勝してほしいとは思いますけど」と、チームとは距離を置く。

「プロ野球の世界って上下関係が厳しい。(斉藤)和巳さんは厳しかった」。高卒で何も知らなかった頃から厳しくしてくれた先輩たちがいたからこそ、今があると感謝している。福岡に家も建て、腰を据える。ヤフオクドームでは10年4月28日楽天戦で1イニング、わずか13球しか投げられなかった。だが今、高橋さんが営業してきた広告は球場内に数えられないほどある。ソフトバンクの「入団1期生」である高橋さんは、営業のエースとしてホークスに欠かせない戦力となった。【石橋隆雄】

◆高橋徹(たかはし・とおる)1987年(昭62)2月23日生まれ。神奈川県横須賀市出身。横浜創学館から04年ドラフト3位でダイエーから指名を受ける。ソフトバンク1期生として入団。速球派右腕として期待されたが、左肩など度重なる故障に泣かされた。背番号が「24」から「64」に変更された6年目の10年に1軍デビュー。2試合、2回1/3、1失点。防御率3・86。翌11年は1軍登板なく、この年限りで退団。10年に結婚。183センチ。

▼ソフトバンク江川(高橋徹さんと同期入団)「見た目で勘違いされるけど、現役の時から、優しくてめちゃいいやつ。人のために動けるし、昔から頭がキレていた。イケイケドンドンな性格だから失敗もあるけど成功も多い。最初、携帯を売っている時はキツイと言っていたけど、それを乗り越えた。認められてうれしい」