開幕戦に勝利した国学院大のバスは、エンジンをかけてヒーローを待っていた。

チームを勝利に導いた先発・横山楓投手(4年=宮崎学園)が小走りに神宮球場の建物から飛び出してきた。手にはウイニングボールが握られている。そのまま、バスの横でほほ笑んでいる女性に駆け寄って、さっと手渡した。言葉はいらない。ボールに気持ちはこもっている。

そのまま、バスへ消えようとしたが、ファンにサインを頼まれると、丁寧に色紙にペンを走らせる。その様子を、女性はうれしそうに見つめていた。この日が45回目の誕生日だった母・香子(きょうこ)さんは、宮崎から上京してひとり息子の勇姿を見届けていた。「もう、言葉はないです。最終学年ですので、できる限り見にいきたいと思っていました。開幕戦で勝つなんて最高の気持ちです」。

横山は昨春の東洋大戦でも勝利を挙げているが、この時は中継ぎでつかんだ白星だった。「今日は先発して勝てましたし、母が見にきていたので、このボールは母に渡します」。試合後の横山は顔を赤らめながらうれしそう。

昨秋のリーグ王者立正大が相手だった。初回から慎重な立ち上がりで2死一塁も三振に仕留めるが、球速が思った以上に出ない。同大の鳥山泰孝監督(43)も「本来の力は出せてなかった。球速もスピードガンが壊れてるんじゃないかと思ったが、スピードガンとけんかしても仕方ない。悪いなりに試合をつくってくれた」と、試合後に横山のデキを総括した。本来のキレはないものの、それでも5回を1失点にまとめて試合をつくったところに価値があった。

横山の名前は「楓」。その名前の由来は「楓はいろんな植物の中で最後に色づくから。最後にきれいな色になって花を咲かせてほしいって、そう母に教えてもらいました」。横山が小学1年の時に、自分の名前の意味を香子さんに尋ねていた。

その時、横山は「小学1年の僕はまだ野球はしてませんでした。でも、その理由を聞いて、最後に成功できるなんて、とってもいい名前だと感じました」と当時を思い起こした。そしてこの日「いい名前です。とっても気に入っています」と笑った。

名前も知らない、顔も記憶がない。横山が1歳の時に父は他界していた。「父のことは何も知りません。でも、この名前を付けてくれました。僕は母に野球で頑張る姿をたくさん見せてあげたい」。母は宮崎の介護施設で調理をして、横山のために学費を賄ってきた。その母の左手に、横山がつかんできたばかりのボールが、しっかりと握られていた。

さっきまで晴れていた神宮球場は、いつしか曇天になり、晩秋のような寒さに包まれた。その寒さが一層、楓の色を鮮やかにしてくれた。【井上真】